じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 写真上は、4月14日夜に撮影した、洋梨の花を前景とした月と火星。月齢は14.7。また、火星はこの日の21時53分に地球に最接近した(マイナス1.5等)。

 写真下は、4月15日早朝に撮影した、洋梨の花と金星。


2014年4月14日(月)

【思ったこと】
140414(月)長谷川版「行動分析学入門」第1回(5)「因果モデルは要請の範囲で構成」され、科学とは「自然を人間が秩序づける作業である」

 前回まで、「原因にはいろいろある」というお話をしました。原因に関しては、このほかにも、
  • 循環型の変化(四季の移ろい、鶏が先か卵が先か)
  • カルト宗教勧誘員が口にする「第一原因」のウソ
  • 神の数式をめぐる議論
など、話は尽きませんが、ここでは省かせていただきます。

 重要なことは、諸々の現象は、複雑な相互作用の中で起こっており、また、それに関わる人のニーズにも依存しており、一意の因果関係では決して説明できないということです。

 バートランド・ラッセルという哲学者は、「因果モデルは要請の範囲で構成される」として興味深い事例を挙げているそうです。【←豊田秀樹先生の著作からの孫引きのため、出典は不明です。念のため。】
 養鶏場で生まれたあるニワトリは、毎朝、農夫が目の前を通り過ぎて納屋に行くと餌がもらえるという事実に気がついた。生まれてこのかた例外などのない確固たる「因果関係」であった。しかし、ある朝、農夫は納屋から餌ではなくヒモを持って来て、そのニワトリは絞められてしまう。

 ここで問題となるのは、「農夫が近づく→餌」という因果モデルの妥当性である。このモデルは、農夫がやってきて自分を絞め殺したという現象を説明できない。もし「農夫は自分を食べるために餌を与えている」という本当の因果モデルがあれば、毎日の現象と絞め殺される現象の両方を説明することができるが、賢いニワトリがいて毎日ケージの中で「農夫が近づく」ことと「餌が与えられる」関係について詳細なデータを収集しても、「本当の因果モデル」にいきつくことはとうていできない。

 じつは、「農夫は自分を食べるために餌を与えている」にしても、究極の因果モデルであるという保障は全くない。もしかしたら、この地球は、というかこの宇宙全体は、ある宇宙人が実験のために作り上げた飼育ケージの中にすっぽり埋め込まれているのかもしれない。そして、農夫がニワトリを絞め殺す直前に、実験終了となって、宇宙全体が突然破壊されてしまうかもしれないのである。しかし、どんな賢い地球人も、そこで飼われているニワトリも、観察から得られたデータだけからは、「実験終了による突然の宇宙の崩壊」を予測することはできないはずである。
 少なくとも、実験や観察といった経験科学のデータからは、絶対根本の因果モデルを造ることはできません。「因果モデルは要請の範囲で構成される」という主張が意味をもってくることになります。

 また、日本の行動分析学の草分けとして知られる佐藤方哉先生【佐藤方哉 (1976) 『行動理論への招待』. 大修館書店.】は、
科学とは「自然のなかに厳然と存在する秩序を人間が何とかして見つけ出す作業」ではなく、「自然を人間が秩序づける作業である
という考え方を示しておられます。もちろん、自然界には確かに法則のようなものが人間から独立して存在します。それは、人類の誕生前から存在し、人類が滅亡した後でも、宇宙の構造が質的に変わらない限り、同じように存在するに違いありません。しかし、それを人間が認識するとなると話は違ってきます。「科学的認識は、広義の言語行動の形をとるものだ。人間は、普遍的な真理をそっくりそのまま認識するのではなくて、自己の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うために秩序づけていくだけなのだ。」というのが、行動分析学的な科学認識の見方と言えます。

 不定期ながら次回に続く。