【思ったこと】 140724(木)長谷川版「行動分析学入門」第14回(2)補遺(2)自然随伴性はどのようにトートロジーを回避するか?
講義録第3章3節のところで、自然随伴性と付加的随伴性について説明しました。復習すると以下の通りとなります。
- 自然随伴性:行動の直後に自然に伴うような随伴性
- 付加的随伴性:第三者が結果(ここでは好子)を付加するような随伴性
同じ行動であっても、自然随伴性で強化されている場合と付加的随伴性で強化されている場合があります。具体例を挙げると、
- 子どもがピアノを弾く
- 自然随伴性で強化されている場合:ピアノを正確に弾いたこと、あるいは弾くことで流れる美しいメロディが好子になっている
- 付加的随伴性で強化されている場合:ピアノの練習を1時間するごとに親から褒められる
- 公園でジョギングをする
- 自然随伴性で強化されている場合:走っている最中の爽快感、沿道の景色などが好子になっている
- 付加的随伴性で強化されている場合:公園を一周するたびに「頑張りました」スタンプが貰える
- 公園の花壇を整備する
- 自然随伴性で強化されている場合:美しい花壇ができあがる。
- 付加的随伴性で強化されている場合:日当をもらって整備する。周辺住民から感謝される。
上掲の例でも示されているように、自然随伴性における好子というのは、当該行動と一体化しており、当該行動以外の行動に人為的に付加するということは困難です。
- 「ピアノを正確に弾いた」という結果は、当人がピアノを弾くことによってしか生じません。他の人がいくら上手に弾いても好子にはなりません。また弾くことで流れる「美しいメロディ」も自分の手で弾くから好子になりうるのであって、単に音楽鑑賞が好きな人であれば、CDなどで名ピアニストの演奏を聴けばそれで済むはずです。
- ジョギングの際の爽快感(筋肉の動きがもたらす諸刺激、軽度の疲労からの回復など)は、走ることで初めて生じる結果です。沿道の景色自体は、自転車で通っても、録画映像でも見られますが、走るスピードに合わせて周囲全体が変化していくというな刺激は、走るという行動以外では生じることがありません。
- 公園の花壇を自分の手で整備すれば、ある程度自分の好みに合わせた花壇ができあがります。業者さんに委託したのでは、気に入らない配置になるかもしれません。
さて、そこで問題になってくるのが、前節で述べた「好子」と「強化」をめぐるトートロジーの議論です。前節では、
- 場面間転移性(Meehlによる主張):ある事象が強化事象であるということを知ると、その事象が(同
一個体または、同じ種の別の個体の)別の行動の強化刺激にもなりうると予見できること。
→特定個人の中では好子や嫌子は比較的安定的に作用するため、ある行動を強化している好子が別の行動の好子になる可能性がきわめて高いということ。これによって、一度も生じたことの無いような行動を形成することも可能となる。
- 制御可能性:ある事象が強化事象であるということを知ると、その事象を随伴させる確率(強化率)や随伴のパターン(強化スケジュール)を操作することによって、行動の起こり方を制御することができること。
→好子や嫌子を同定できれば、それを操作することで行動を変えることができる。
という機能によってトートロジーは回避できると述べましたが、行動とそれに伴う好子が一体化しているような自然随伴性では、場面間転移性は原理的に不可能であると考えられます。
しかし、後者の制御可能性に関しては、
- ピアノの音が聞こえにくい条件、一部の鍵盤の音が出ない条件、(電子ピアノなどで)指の力の強弱にかかわらず同じ大きさの音が出るような条件、鍵盤が重い条件、などを比較すれば、その子どもがどのような好子によって強化されているのかをより精密に知ることができます。
- ジョギングの場合も、足首におもりをつける(→筋肉への刺激や疲労の程度が異なる)、昼と夜のどちらの時間帯で走るか比較する(→夜は周辺の景色が見えない)、室内のルームランナーで走ってみる、などの条件を比較すれば、何が好子なのかは分かります。
- 花壇の整備行動が季節によってどう変わるかを比較すれば、どういう花が好子になっているのかが分かります。
というような形で、「自然に伴う」好子の量や質を制御し、どの程度強化されるのかをシステマティックに観察することができるでしょう。
なお、前者の場面間転移可能性においても、「何かを完成する」、「目標を達成する」といった結果については、般性好子になりうる可能性があります。例えば、
- ジグソーパズルで遊ぶ行動が、パズルの完成という好子で強化されている場合:その子どもが、毎日さ、算数ドリル50枚をこなすとか、ラジオ体操期間に一度も欠席せずにスタンプをすべての日にち欄に押してもらうということが同様に好子であるとするなら、「100%完成」という、場面を超えた転移があるかもしれません。
- 目標達成の場合も、スポーツ大会での優勝という目標を達成した人が、次に、日本百名山踏破を目ざしたり、未踏峰初登頂にチャレンジするとしたら、個々の目標という場面を超えた「達成」自体が好子になっている可能性もあるように思います。
次回に続く
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