【思ったこと】 140919(金)日本心理学会第78回大会(10)ACTとマインドフルネス(5)マインドフルネスについての私なりの理解(2)
昨日の続き。
「マインドフルネス」という言葉は、心理学関係の学会で何年か前から耳にしていたが、何となく宗教っぽいイメージがあって敬遠したきたところであるが、今回、複数のシンポやセミナーに参加することでかなり誤解が解けたように思う。また、これを機会に何冊か、関連書を注文した。シンポの耳学問だけではまだまだ分からないところもあるが、とりあえず、私が理解した点を箇条書きにしておく。
- マインドフルネスは2つある。1つは、ストレスを軽減するためのマインドフルネス。もう1つは、様々なものに対する観察反応の生起頻度を上げるマインドフルネス。
- マインドフルネスはバーリ語のSati(サティ)を語源とした英訳。漢語では「念」だが、日本語では中国語の「念」の意味が変化しているので、むしろ「観照」や「正覚」に近い。
- マインドフルネスのトレーニングは仏教の瞑想と目的が異なる。仏教の瞑想は、悟り、解脱、滅苦を目ざすが、マインドフルネスは心身の健康を目的とする。仏教の修行には八正道というのがあるが、マインドフルネスの瞑想はそのうちの「正念(物事の本質をあるがままに 心にとどめ、常に真理を求める心を忘れないこと)」に近い。八正道には、これとは異なる集中瞑想「正定(精神を統一して心を安定させ、迷いのない清浄な境地に入ること)」がある。
- 原始仏教は自己の「原理」とセルフコントロール法の一大体系であり、大いに学ぶ点がある。但し、原始仏教と信仰仏教は区別しなければならない。
- マインドフルネスは単なる注意訓練ではない。セルフコンパッション(self-compassion)も大切。コンパッションは仏教の慈悲(人の幸福が増えることを願う心と、人の苦痛が減ることを願う心)に通じるところがある。昔や未来ではなく、今ここでの経験にバランスのよい注意を向けるという「捨(equanimity)」の心的態度を育てつつ注意訓練をする必要がある。
ということで、耳学問の範囲では難しすぎるところもあるが、とりあえず、
といった点は理解できた。
次回に続く。
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