じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 火曜日は朝からよく晴れ、大学構内各地で美しい新緑が見られた。
  • 写真上:文学部東入口と半田山
  • 写真中:文学部3階からの中庭と半田山
  • 写真下:文法経グラウンドからの半田山



2015年04月21日(火)



【思ったこと】

学力テストは、平均点に基づく都道府県順位よりも、習熟度別の底上げが大切

 各種報道によれば、小学6年と中学3年を対象とした全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が4月21日に実施された。全員参加方式で行われ、国公立の全校と私立の一部、計3万388校、約222万6000人が参加したという。また今回は、毎年行う国語、算数・数学に加えて理科も実施されたという。なお、問題や正答例はすでにこちらで公開されている。

 ちなみに、岡山では、ローカルニュースなどで、学力テストのことが結構話題になっている。いちばんの理由は、このところ岡山県の平均正答率が低迷しており、昨年度は小学6年が全国38位、中学3年は同42位、しかも中学の全4科目で全国との差が過去最大に広がるといった結果が出ているためである【詳細データはこちら。】 県教委は授業改革といった学力向上対策に取り組んでいるという。

 もっとも、順位が低いと言っても、全国平均との正答率の差は小学校では0.3〜1.6%、中学校で1.2〜3.9%にとどまっている。小学校では微々たる差であってそれほど深刻とは言えないようにも思える。いっぽう、中学の国語Bと数学B(いずれも、主に活用を問う問題)では、やや差が開いているようにも見える。

 さて、リンク先の「(2)正答数分布の特徴」のグラフを見ると、上掲の国語Bと数学Bでは、全国の分布に比べて、得点下位層の頻度が高くなっている(=折れ線グラフに比べて棒グラフのほうが高い)ことが見て取れる。いっぽう、両科目において、高得点者の頻度は殆ど変わっていない。ということは、岡山県の順位が低い主な原因は、教育の全体的な質の低下ではなく、低得点者に対するサポートが十分にできていないことにあるように思える。であるとするなら、十分な習熟度に達していない生徒に対して特別の補習を行って底上げをはかるか、勉強が進んでいる生徒を含めて、習熟度に応じた各生徒の学力向上をめざすことが必要ではないだろうか。

 21日夕刻のローカルニュースでは、モデル校でタブレット教材を活用しているという赤磐市の例が取り上げられていたが、習熟度別の底上げ教育という点では一定の効果が期待できそうだ。但し、タブレット教材がドリル型教材に比べて優れているかどうかは、教材の中身次第。底上げではなく、もっと本格的な創造力や活用力が養えるかどうかは、まさに中身にかかっていると言えよう。

 もう1つ、きわめて重要な点は、低得点者の成績不振の原因である。分析すべき点としては、
  • 国語Bの低得点者と数学Bの低得点者の重なり
    ←同一の生徒がいずれの科目でも得点が低い場合は、家庭での勉強時間が少なすぎる、授業をちゃんと受けていないといった、勉学環境や学習態度全般が問題となっている可能性がある。国語Bは低得点だが数学Bは高得点、あるいは逆に、国語Bは高得点だが数学Bは低得点という生徒の場合は、苦手科目を克服するための固有のサポートが必要になる。
  • 行動分析学の言葉で言えば、低得点者の勉学行動の量と質がうまく強化されていないのはどのような好子が不足しているためなのか、今後、確実に強化していくくためにはどのような好子が有効であるのかを個別に分析する必要
    ←一般的には、児童や生徒の勉学行動を強化している好子としては、
    1. 付加的随伴性 一定時間勉強をしたこと、あるいは宿題等を完成したことへのご褒美。賞賛、ご褒美ポイントなど。
    2. 自然随伴性 一定の課題を達成したことによって自然に得られる好子。達成という成功体験を重ねることが肝要。何度チャレンジしても達成できないという経験を繰り返すと学習性無力症になってしまう恐れあり。
    3. 自然随伴性 勉強そのものの面白さ。新しい知識を獲得することによる行動機会の拡大。謎の解決。日常生活でのさまざまな現象に「なぜ?」という疑問をいだき、それを解決することの喜びを味わう。
    4. ルール支配行動 成績向上は、将来の進学や就職に役立つ。
     なお、上掲のさまざまな強化随伴性は、有機的統合理論における動機づけ分類にも対応している。


 これらの分析は、学力テストの一環として行われる児童生徒質問紙調査の結果に基づいて行われるべきであるが、勉強の好き嫌いや勉強時間を全国平均値と比較するだけでは建設的な結論は得られない。低得点者と高得点者でどこが違うのかという対応づけが必要であろう。残念ながらこちらの概略ではそのような視点が不足しているように思われる。