じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
東西通りと岡大構内のヒラドツツジが見頃となってきた。なお、東西通りの北側石垣は、上段にヒラドツツジ、下段がサツキツツジという二段構造の植栽になっている【写真中参照】。キリシマツツジと異なり、サツキツツジは5月下旬にならないと開花しない。昨年の開花状況はこちら。 |
【思ったこと】 「ジャポニカ学習帳」と私のノート歴 各種報道によれば「ジャポニカ学習帳」の発売元のショウワノートは28日、過去の表紙の人気投票を通販大手のアマゾンと共同で実施すると発表した。投票候補はこちらに公開されており、投票期間は、2015年4月28日(火)0:00 〜 2015年6月15日(月)23:59(日本時間)となっている。 リンク先によれば、この「ジャポニカ学習帳」は1970年に登場、学習帳メーカーとして苦戦していたショウワノートが 学習帳の表紙はイラストが定番だった時代に、昆虫や植物の写真を使用し、中ページには当時小学館から刊行されていた『ジャポニカ百科事典』とコラボレーションした学習百科を綴じ込みました。当時は百科事典を所有することが一家のステータスになる時代だったこともあり、「ジャポニカ」は大いにプラスイメージに寄与しました。という経緯で発売し、ヒット商品になったとのことである。もっとも、最近になって、「娘が昆虫写真が嫌でノートを持てないと言っている」といった声が寄せられ、2012年からは昆虫が写った表紙は使われなくなっていたとか。今回、昆虫写真の表紙が選ばれれば復刻対象になる可能性があるらしい。 さっそく、リンク先の昆虫写真を一覧したが、私個人としては、特に嫌悪感を感じるものはない。強いて言えばカメムシと思われる昆虫の写真は、表紙に触ると悪臭を放つような気がしないでもないが、別段、嫌でたまらないというものでもない。昆虫が嫌いという人に配慮する必要はあるにせよ、子ども時代にはぜひとも昆虫採集【出典はこちら】・飼育を通じて、自然を慈しみ生命を大切にする体験を積み重ねてほしいと思う。 もとの学習帳の話題に戻るが、私自身は、「ジャポニカ学習帳」が登場した1970年にはすでに高校3年生であったため、自分自身のために購入したことは一度も無い。当時使っていたのはフィラーノート。これは、1枚ずつ切り離して2穴ファイルに綴じ込んでいく。科目別にノートを作る必要が無いので便利であったが、先生によっては「ノートは必ず綴じたもの(切り離しできないもの)を使いなさい」と指導されることがあった。 2穴ファイルの便利な点は、自分で書き込んだノートと、配布された資料を1つのファイルに一緒に閉じ込めることであった。綴じたノートでは別々になるため、対応が難しい。それと、綴じたノートは、最後まで使い切ることが少なく、紙のムダになる。 もっとも、2穴ファイルは、穴が破れて抜け落ちるという欠点があった。そのこともあって、大学入学以降はもっぱら26穴のバインダーと用紙を使用することになった。この場合、配付資料はゲージパンチで穴をあけるか、26穴のクリアファイルに挿入するかたちで保存していった。 その後、政府が、1992年11月末に開いた各省庁の事務連絡会議で、1993年4月から行政文書の用紙を原則としてA判化することを申し合わせ【出典はこちら。こちらに実施要綱あり】、大学で配布される通達文書や会議資料、そしてさらには授業中に配布する資料などもA4判が基本になっていった。このサイズ変更によって、B5判&26穴ファイルでは収納できないという重大問題が発生した。その後、A4判30穴用バインダーに買い換えが進んだものの、いまでも、古い文書類はB5バインダーに綴じ込んだままになっている。 もっとも、2000年以降になると紙媒体のファイルはペーパーレス化により一気に減少していった。私自身がワープロソフトを使い始めたのは1986年5月頃(「一太郎Ver.2」)であったが、現在、ハードディスクに蓄積されている文書ファイルはおおむね1998年頃からとなっている。授業配布資料は1999年度からのファイルがほぼ完璧に残っている。またノートの話題とは直接関係ないが、写真のほうも1997年頃からデジカメに切り替えており、以降のアルバム帳は姿を消している。 ということで、2000年頃からは、自分が使用するノートやバインダー用紙、さらには鉛筆や消しゴムは全く買わなくなった。今後、手書き文書を書く可能性があるとすれば自筆遺言書くらいのものかと思うが、これといった資産もないし、特に言い残したいと思うこともないので、おそらく、パス。いっぽう、過去の紙媒体資料は、必要なものだけスキャナーで電子ファイル化して、シュレッダーで廃棄していく予定だが、いつでもできると思うといっこうに作業が進まない。 |