じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 6月29日の岡山はよく晴れ、日照時間は13.0時間となった。日照時間が13時間以上となったのは5月21日の13.3時間以来である。写真左は、空いっぱいに広がる巻雲。写真右は、この日の夜に見られた金星と木星の接近状況。

2015年06月29日(月)


【思ったこと】
150629(月)『嫌われる勇気』(2)アドラー心理学の前提

 昨日も述べたように、この本は、身近な事例について常識を覆す発想から話を展開している。アドラー心理学を学ぶ気が無い人であっても、自分自身の固定観念を再点検し、アドラー心理学のほうが正しいと思えばそれを取り入れればよいし、間違っていると思えば根拠に基づいて反論すればよい。アドラー心理学を無視して何もしないよりは、遙かに有用な研鑽になるはずだ。

 ウィキペディアによれば、アドラー心理学は次の5つの基本前提を受け入れることによって成立している。【一部省略】
  1. 個人の主体性(Creativity)
    アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、全体としての個人が、心身を使って、目的に向かって、行動している、ととらえる。
  2. 目的論(Teleology)
    全体としての個人は、生物学的には、個体保存と種族保存、社会学的には、所属、心理学的には、その人らしい所属、という目標のために行動する。
  3. 全体論(Holism)
     アドラー心理学では、個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない個人としてとらえる。したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や葛藤、対立を認めない。
  4. 社会統合論(Social Embeddedness)
     人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
  5. 仮想論(Fictionalism)
     アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。


 こうした基本前提は、考え方の枠組みについての1つの提案であるとも言える。よって、何かの見解の相違や対立が生じたとしても、経験的に得られた証拠によって決着させることはできない。けっきょく、プラグマティックな真理基準に基づいて採否を検討していくほかはないと思う。見方を変えれば、アドラー心理学を正しいと信じて日々実践している人たちがそうでない人たちよりもハッピーな状態にあるならば、それは正しいということになる。但しそれは、アドラー心理学の5つの前提が正しいということを必ずしも証明するわけではない。アドラー心理学実践者たちの行動を行動随伴性の概念を用いて分析し、その有用性を証拠づけることだってできる。(もちろん、これは、機能的文脈主義の前提に基づいて実践される各種心理療法についても言える)。

 でもって、私個人の感想としては、『嫌われる勇気』で取り上げられているいくつかの前提のうち、前半のあたりはかなり賛同できる部分がある。但し、私は、別段、自分のことを嫌いだとは思っていないし、劣等感もない。もともと対人関係は必要最低限にとどめているので、対人関係上で生じる悩みは起こりにくい。むしろ、老化が進む中で、できるだけ他者に頼らずにどうやってソフトランディングを達成するかが課題となっている。いっぽう、後半の「共同体感覚」については、まったく共感できない。わたしもあなたもみな、それぞれが独自に作り上げている「世界」の「中心」であって、他者との交流は結局のところ、ゲーム理論でいう支配や均衡、さらには「絶縁、非交流」で成り立っているのではないかという考えを持ち続けている。

不定期ながら次回に続く。