じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
8月18日の岡山は、前日の激しい雨とは対照的に、比較的よく晴れ穏やかな一日となった。写真は、左から、
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【思ったこと】 150818(火)『嫌われる勇気』(38)叱ってはいけない、ほめてもいけない(5)付加的強化の効用 昨日で、「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面だけに注目して、「ほめる」を否定することはできないように思えると述べた。加えて、「ほめる」が付加的な強化の随伴性として機能している場合は、子どもの発達を大きく支援する力があるようにも思う。 まず、言葉の学習。とりわけ、モノの名前(タクト)を覚える際には、付加的な強化が重要である。トールネケ(武藤・熊野監訳, 2013,関係フレーム理論(RFT)を学ぶ)は次のような例を挙げている【43頁】 ...環境をタクトするのは,タクトすることが強化されてきた確固とした学習履歴があるからである。幼いころから私たちは,たとえば,牛がいるところで正確に「ウシ」と発語したときに,強化的な結果を経験してきた。もしも,牛がいる場面で「子ネコちゃん」と言ったとしたら,違った結果になっていたはずである。結果は,主に一般的で社会的な性質のものである。すなわち,タクトすると,般性強化子(generalized reinforcer)がそれに続く。... ここで、般性強化子(=般性好子)には、ほめる(正確には「褒め言葉」)が含まれる。ちなみに、言葉の学習の中でも、マンドの学習、例えば「水(をください)」と発語して水を受け取る場合は、水自体が好子として随伴するため、褒め言葉は要らない。しかし、タクトの場合は、社会的な好子の随伴なしに学習が向上する可能性は少ない。 2番目の例として、ピアノの練習。どのような天才ピアニストであっても、初めて鍵盤を叩く時から上手に弾けるわけはない。最初は、単純なメロディーを繰り返し練習することで、ドレミファを正確に、かつ、求められる強さやテンポで弾けることを目ざす。しかし、このような単純な練習は、あまり面白いものではない。ピアノの1つ1つの音色自体に魅せられているという子どもは別として、多くの場合は、練習を続けることを褒めるが大きな役割を果たす。 もう1つ、算数の足し算、掛け算の練習を挙げておく。これも、それ自体はあまり面白いものではない。やはり、連中を続けることを褒めることが効果的である。 さて、いずれの場合もそうだが、付加的な強化は、あくまで、行動が自然随伴性(natural contingencies)による強化で「自走」できるまでの橋渡しをするものでなければならない点に留意する必要がある。ここでいう自然随伴性とは
といったものである。このような橋渡しがうまくできないと、ほめられなければ何もしない、という他者依存型の子どもに育ってしまう。もっとも、反抗期に入ると、子どものほうから褒められることを嫌がるようになるので、特段の配慮をしなくても、子どもたちは勝手に、自然随伴性で、自分の好きな課題に取り組めるようになる(もしくは、商業主義社会の中で提供される新たな付加的好子に操られるようになっていく)。 不定期ながら次回に続く。 |