【思ったこと】 151012(月)連休中に見たテレビ番組:「思い出のマーニー」と朝ドラ「まれ」総集編
10月10日(土)から2日(月)の三連休に視た番組(録画再生を含む)の中から印象に残ったものを2つ。ネタバレあり。
- 10月9日放送金曜ロードショー「思い出のマーニー」
宮崎駿・高畑勲の2人が一切制作に関わっていないジプリ作品ということで興味を持った。人付き合いを好まない私にとっては、事情は全く異なるにせよ、主人公・杏奈の心情には共感できるところがあった。また、マーニーの正体の謎めいたところも興味を注がれた。
ネットで検索したところ、こちらにいくつかの解釈が引用されていた。このうち、マーニーの正体や突然消えてしまう謎については、
- 少女姿のマーニーは幽霊でもなんでもなくアンナ自身が言った通り”妄想”
- 杏奈は湿地帯や屋敷を見たことによって無意識のうちに祖母マーニーが語ってくれた話を思い出し、それを元に少女姿のマーニーを妄想という形で生み出した。
- 祖母マーニーとの関わりなどすっかり忘れていたアンナは湿地帯と屋敷を見たことで知らず知らずのうちに記憶の底が刺激され、祖母マーニーの話をもとに妄想世界を作り上げ、その中で追体験した。
- マーニーが突然消えてしまうのは、祖母マーニーがアンナに語ったことのない部分。アンナは祖母マーニーから聞かされていた話に沿って妄想世界を作り上げていたため、語られなかった部分では少女マーニーを生み出すことができなかった。
といった指摘【長谷川により要約】があり、ほぼ納得できた。
同じリンク先には、マーニーの正体についての伏線とミスリードとして、
- 核心をついている伏線:【杏奈に対して】「目が青いのね」という信子の指摘
- ミスリード;幼い杏奈が抱きしめているマーニーそっくりの人形
が挙げられていたが、私はミスリードのほうにまんまと引っかかってしまって、マーニーは、幼い頃杏奈が抱きしめていた人形の化身であり、いろいろな経緯からあの屋敷のどこかに置き去りにされていたという設定かと思っていた。
ストーリーの展開はなかなかよくできているとは思ったが、祖母と孫との絆というのは、やはり年齢差があってこそ感動をもたらすものであり、結末のところはあまりしっくりこなかった。以前、ドラえもんで、のび太がタイムマシンを使っておばあちゃんに会いに行くという回があった。ああいう描き方で十分ではないかという気もする。
- 10月12日午前放送:朝ドラ「まれ」総集編
4月9日や10月9日の日記に記したように、最初の一週間を視ただけであったが、せっかくだから結末だけでも知っておこうと思い、録画した。
でもって結末だが、ほぼ想定された通りの無難な展開に終わった。私にはやはり、純と愛のような最後の最後までどうなるか分からないドラマのほうが好みである。
あと、世界一のパティシエを目ざすと言っても、視聴者はケーキを直接味わうことができない。登場人物の言葉や表情を通じてしか美味しさを表現できないという点で、私のような鈍感な人間にはイマイチ感動できないところがある。「幸福の黄色いハンカチ」のはためくハンカチ、あるいは登頂、戦いの勝利、建造物の完成、というように誰の目にもパッと分かるような達成が描かれていたほうがいい。
なお、ドラマに関しては、「純と愛」以来、こちらの方のコメントを愛読させていただいており、今回も大いに勉強になった。【←いまは「洞窟おじさん」のコメントが楽しみ】。
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