じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
旭川から取水し岡大構内を流れる農業用水路「座主川」の上流域には唯一、別の用水路が流れ込む「滝」がある。土曜日にたくさん雨が降ったこともあり、日曜日午前中はかなりの水量になっていた。 |
【思ったこと】 160222(月)『嫌われる勇気』(81)100分de名著(9)課題の分離 2月21日の続き。まず、2月23日朝の「モーサテ」ビジネス書ランキング(紀伊國屋書店調べ、2/15〜2/22)では、『嫌われる勇気』が2位をキープしていた。他のビジネス書の順位が次々と入れ替わる中、この本の持続的な強さが際立っている。 さて、放送第3回の後半では、いよいよ「他人の課題に土足で無理に踏み込まず、課題の分離をするべきだ。」という「課題の分離」の話題が取り上げられた。誰の課題かということは、あることの最終的な結末が誰にふりかかるのか、で区別できる。例えば「子どもにいい人生を歩んでもらいたい」というのは親の課題だが、子どもにとっては親の課題を解決しなければならないという義務はない。子どもに親の課題を押しつけることは、土足で踏み込むことになる。 番組でも念を押されていたように、「課題の分離」というのは対人関係の最終目標ではない。あくまで入口であり、決して、他者との関係を断ち切ることではない。お互いの課題を整理した上で「涼しい」関係をどう築くのかを検討していく必要があるというような内容であった。 単に「他人の課題を切り捨てる」というだけであれば、他者との距離を置き、他者に無関心となることでも実現できるが、「涼しい関係」の構築はなかなか難しい。 番組では、あくまで美大を目ざす女子高校生と、美大ではなく国立大進学を願う親との葛藤が例示されていた。この場合、将来の進路選択はあくまで娘さんの課題ということになるが、「勝手にすればエエ」と切り捨ててしまっては涼しい親子関係は築けない。それと、昨日も述べたように、いまの自由主義社会のもとでは、自分の興味対象や適性のように見える殆どは、メディアや周囲の影響を受けて形成されたものと言える。自分の課題を自分で解決していくように見えて、実際は、そうした影響のもとでふらついているだけかもしれない。 とにもかくにも、選択の判断に役立つよう正確な情報を提供し、また、特定の思い込みや錯覚に陥らないようクリティカルシンキングの基本を身につけることは大切と言えよう。 次回に続く。 |