じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 森美術館で開催されていた(〜3月6日)村上隆の五百羅漢図展を観た。展覧会としては珍しく、撮影が許可されていた(但しフラッシュ撮影は禁止)。写真は、作品に触発されて作り上げた私の自画像。デジカメの自撮りモードで撮影した私自身の顔写真を画像編集アプリで加工。

2016年03月06日(日)


【思ったこと】
160306(日)コミュニティで創る新しい高齢社会のデザイン(2)

 昨日の続き。

 今回の成果報告の中にも含まれていたが、このプロジェクトでは、
  1. 健康寿命を延伸する環境づくり
  2. 老いの進み方に合わせた心積もり
  3. 最終段階での医療選択
 このうち1.については、今回の報告のほか、私自身も参加している健幸ポイントを含めてさまざまな取り組みが行われているが、意外と軽視しがちなのが2.と3.の段階である。

 2.は、壮健な状態から要介護に至るまでの期間であり、今回の報告では「老活」と名付けられていた。健康寿命を延ばすことはもちろん大切だが、そうはいっても、いずれは要介護状態になる。それに至る期間においても、できることの変化に対応してQOLを維持するための心積もりを忘れてはならない。

 2.の段階は通常、定年退職後に進行するが、健康状態は人それぞれであり、長さも異なる。ピンピンコロリ(PPK)を望んでいてもその通りにはならない。また、現役時代と同じ勤務時間で過労で早死にするよりは、適宜、労働時間を減らして、準壮健状態をキープすることも大切であろう。

 2.の段階がさらに進むと、積極的な治療を受けるかどうか、緩和ケアの選択、急変した時に救急車を呼ぶかどうか、蘇生措置を受けるかどうかといったことについても、家族とも相談した上で心積もりを決めておく必要がある。

 もっとも、Schwarzの選択行動に関する本でも論じられているように、健康状態の時に決めた選択と、じっさいに病気になった時に求める内容は必ずしも一致しないという問題もある。考えすぎも禁物だが、健康状態に応じて臨機応変に希望内容を修正していくことも必要であろう。

 3.については、家族主義の日本ではこれまであまり問題にされてこなかったという。本人の意思確認が難しくなった時でも、家族が同意すればそれでよしという風潮があった。これに対して欧米の個人主義社会では、早くから、患者の意思を尊重するための仕組みが整備されてきた。

 認知症高齢者の医療選択の場合は、本人の意思決定をどう尊重するのかがさらに難しくなる。ちなみに、報告資料によれば、死亡例の半数には認知症の病名がつけられていたという。また、何度か入退院を繰り返した後に死亡というケースが多い。

 「医療同意能力」の操作的基準としては
  1. 理解する力
  2. 認識する力
  3. 論理的に考える力
  4. 選択を表明する力
という4つの能力が上げられており、このうち1つでも欠けると同意能力が十分とはみなされない。但し、実際に開発されたツールでは、カットオフ得点は設定されておらず、最終的には総合的に判定されるとのことだった。

 以上、いずれの場合においても本人の意思は大切であるが、「意思」と言ってもそれほど強固なものではなく、事前に伝えられた情報の量と質、さらには、ちょっとした出来事や、信仰上の転換等で内容が大きく変わることもあり、十分な配慮が必要と思われる。

 次回に続く。