じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 大学構内は新緑に包まれているが赤い新芽が目立つ樹木もある。写真左はセイヨウカナメモチ(ベニカナメモチ、レッドロビン)。写真右はアカメガシワ。

2016年04月18日(月)


【思ったこと】
160418(月)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(2)社会構成主義と機能的文脈主義

 第1章の冒頭では、スキナーの「徹底的行動主義」を「機能的文脈主義」と読み替えた場合のメリットとして、
This alternative term may better convey in what way this particular philosophy of science relates to other modern approaches. It puts Skinner's position in relation to alternative types of contextualism, such as social constructivism or certain types of feminism (Roche & Barnes-Holmes, 2003; Gifford & Hayes, 1999). 【原書9頁】
たとえば,ほかの現代的なアプローチと行動分析の哲学がどのような関係にあるのか,といった場合である。それは,Skinner の立場を,別なタイプの文脈上義で,たとえば社会構成主義(social constructivism) やある種のフェミニズムなどといったものとの関係の中に位置づけることができるようになる。【翻訳書11頁】
という記述がある。

 ここで引用されている2文献は以下の通り。
  1. Roche, B., & Barnes-Holmes, D. (2003). Behavior analysis and social constructivism: Some points of contact and departure. Behavior Analyst, 26, 215-231.
  2. Gifford, E. V., & Hayes, S. C. (1998). Functional contextualism: A pragmatic philosophy for behavioral science. In W. O'Donohue & R. Kitchener (Eds.),Handbook of behaviorism (pp. 285-327). San Diego, CA: Academic Press.

 このうち1.については、こちらから無料で閲覧することができる。2.のほうは原書本文と巻末引用文献表の刊行年が1年違っているが、amazonによるとどうやら1998年が正しいようである。

 ちなみに、私自身は2005年にスキナー以後の行動分析学(15): 社会構成主義との対話という紀要論文を書いたことがあるが、そのさいに取り上げたのは、
  • Gergen, K. J. (1994): Realities and relationships; Soundings in social construction. Cambridge: Harvard University Press. [永田素彦・深尾誠(訳). (2004). 社会構成主義の理論と実践――関係性が現実をつくる. ナカニシヤ出版.]
  • Gergen, K. J. (1999): An invitation to Social Construction. London: Sage. [ガーゲン(著)東村知子(訳)(2004).あなたへの社会構成主義, ナカニシヤ出版.]
であり、2年前に刊行されていた上記論文、Roche & Barnes-Holmes(2003)は入手できていなかった。

 文脈主義の特徴については、少し前に刊行した

スキナー以後の心理学(23)言語行動、ルール支配行動、関係フレーム理論岡山大学文学部紀要, 64, 1-30.】

の最後のところで言及したことがある。少し長くなるが、その部分を以下に再掲しておく【一部略】。
 最後に、RFTやACTの哲学的背景とされている機能的文脈主義について簡単にふれておく。
 武藤(2001, 2011)によれば、文脈主義はPepper(1942)の「世界仮説」の1つに挙げられている。それによれば、さまざまな思想・主義は、
  1. 世界は要素で構成されているか
  2. 世界は1つのストーリーとして語ることが可能か
によって、4つの主義に分類される。このうち、上記いずれに対しても否定的な立場をとるのが文脈主義であり、文脈中に生じている進行中の行為をルート・メタファとし、恣意的なゴールの達成を真理基準としている。ちなみに、上記いずれに対しても肯定的な立場をとるのが機械主義であり、機械をルート・メタファとし、言語構成体とその構成体によって示唆される新事実との一致を真理基準としている。
 行動分析学の学界では、1980年代以降、Hayes, Hayes & Reese(1988)らによってこの世界仮説が取り上げられ、その後のRFTやACTの哲学的基盤となった。ちなみに、スキナーの徹底的行動主義は、特に初期の著作には機械主義と文脈主義が混在していると指摘されているが、全体としては行動分析学は、文脈主義の特色を有すると結論されている(武藤, 2001、37〜38頁;Morris, 1993; Delprato, 1993を合わせて参照)。

 この世界仮説で留意すべきなのは、以下の格率とそれに基づく主張である(武藤, 2006a、17頁)。
  1. ある世界仮説はそのルート・メタファーによって規定されている。
  2. 各世界観は自律している。
  3. 各世界観同士の折衷主義は混乱を引き起こす。
  4. ルート・メタファーとの関係を失っている概念は意味を持ち得ない。

 この4つの格率は以下のような主張を導く。ある世界仮説を用いて他の世界仮説を分析・批判することは、上述の前提条件から逸脱するだけでなく、本質的に無益であるという主張である。つまり、他の世界仮説の欠点を暴くことで強められる世界仮説は存在しないということである。
 こうした主張は、ある意味で、主義・思想の「棲み分け」を促すとも言える。「いろいろな考え方の1つとしてこういう考え方もあります」という形で、既存の理論から否定されることなしに新たな理論を提唱することもできるが、その一方、賛同者を増やすためにはそれを採用することのメリットを強調しなければならない。文脈主義の場合は、「恣意的なゴールの達成」という真理基準によって、その存在価値が問われることになる。
 文脈主義はさらに、機能的文脈主義と記述的文脈主義に分かれる。武藤(2006a、27頁)によれば、機能的文脈主義の重要な点は、質的データであれ量的データであれ、ゴール達成に有用であるなら意味を持つ(有用でなければ何ら意味を持たない)という考え方である。機能的文脈主義においても、従来の科学的方法論を捨てることはないが、その方法論 を採用する機能が機械主義などとは全く異なる【以下、要約改変】。
  • 追試実験は、先行研究で得られた結果の是非を検討するだけでなく、先行研究で記述されている言語構成体が当該の結果を生み出すことができる程度に正確か否か、妥当か否かを検討することを目的としている。
  • 従来の科学的な方法論は、対象を一方的に検討するという意味で「知る科学」。機能的文脈主義の方法論は、「相手の状況に最適な状況をいかに自分が用意できるかをモニターし、修正していく」というサービ提供に近く、「サービスの科学」と呼ぶことができる。

 こうした考え方は、臨床場面においてクライエントに個別に対応していく場合はきわめて有効と思われるが、より一般性のある言語学習の理論、あるいは、より効率的な言語学習法の開発(5.2.参照)をめざす場合に有効な手段となりうるのかどうかは定かではない。いずれにせよ、プラグマチズムに基づく真理基準という観点から、仮説検証の積み重ねによる機械主義的なアプローチを越える、有効で実行可能な具体的プログラムをどこまで提案できるのかが課題となるであろう。
 なお、上述の武藤(2006a)は絶版となっていて入手困難であるが、

武藤崇(編) (2011).ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)ハンドブック 臨床行動分析によるマインドフルなアプローチ. 星和書店.

の第1章に再掲されている。

 次回に続く。