じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
ネジバナの「お花畑」。ネジバナは花穂が細いことなどから、焦点を合わせにくく、一面に咲いている様子をカメラに収めることが難しい。 |
【思ったこと】 160625(土)人工知能と機械翻訳 高大連携の一環として行われた模擬授業として、高校生を相手に、人工知能と「人間的」思考について話をさせていただいた。 人工知能という言葉自体は私が中高生の頃から使われていたが、その中身は大きく変わっている。最近出版された、 松尾豊人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの 等によると、人工知能の発展には4段階があり、私が子どもの頃はもっぱら簡単な制御システムに限られており、人型のロボットはあくまでSFの世界に限られていた。その後、古典的な人工知能、機械学習、と発展し、最近ではディープラーニングが注目されている。少し前にも、NHKスペシャルでも、 天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る【初回放送2016年5月15日】 という番組が放送され、囲碁や将棋でプロ棋士を上回る強さを発揮できるようになった仕組みが解説されていた。番組ではこのほか、「レンブラントの作風を学習させ、レンブラント風の新しい絵を描かせる」、「自動運転」、「画像診断で、専門医が気づかないような癌を見つける」といった様々な場面で人工知能が活躍していることも紹介されていた。また別のニュースでは、人事評価に活用するといったビジネスも始まっており、人間の活躍できる場が次第に奪われていくのではないかという不安さえ感じることがある。 もっとも、これだけ科学技術が発展しても、まだまだ人工知能が苦手としている分野がある。その1つが、機械翻訳である。囲碁や将棋ではプロ棋士にさえ勝てる人工知能であるが、日本語を英語にしたり、英語を日本語に翻訳する力はいまだに中学生程度であり、昔からそれほど向上していない。 模擬授業では、その一例として、以下のような翻訳例を紹介した。 これは何の文章?これは、夏目漱石の「坊っちゃん」の冒頭を、ネット上の翻訳サイトで英語に「翻訳」し、「翻訳」した英文を再び日本語に戻す、という操作を2回繰り返した結果である。
機械翻訳が拙劣である理由はおそらく、文章の背景や文脈に関連づけながら、あるいは自己の体験に結びつけながら、「意味」をつかみとっていくことができないためと思われる。例えば「「僕はウナギだ」は、機械翻訳ではほぼ確実に「I am an eel.」と訳されてしまうが、もしその発話がレストランでなされた会話の一部であったとすれば、人間の翻訳家は「鰻丼、一丁!」というように意味を置き換えてから翻訳するであろう。 最近では人工知能を利用した創作小説というのもあり、機械翻訳の世界でも、いずれはもう少しマシな成果が出せるようになるかもしれないが、言語行動の本質を考えるとどこかに限界はありそうに思える。 なお、模擬授業の終わりのほうでは、おまけとして、次のような再翻訳結果も紹介させていただいた。このクイズの正解が分かった生徒は2名であった。 ところで、賛成に生きることは、嬉しいんだ喜びです |