じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 9月下旬に岡大西門・西側花壇を賑わしていた白花曼珠沙華の花が終わった。花期が短いため公共花壇向きかどうかは疑問。右は9月27日の見頃の時期の写真。

2016年10月07日(金)




【小さな話題】

阿蘇山の爆発的噴火

 各種報道によると、10月8日午前1時46分ごろ、熊本県の阿蘇山の中岳第一火口で爆発的な噴火が発生したという。爆発的な噴火が起きたのは1980年の1月以来だという。

 こちらによれば、爆発的噴火というのは、「噴火の一形式で、 地下の高温や高圧源での内圧が増大して起こり、音響とともにガス、水蒸気、岩石等を放出し、空振を伴う現象です(一般的に爆発と略すことが多い)。 時に火口や山体を破壊することもあります。」と定義されているようだが、マグマの噴出を伴う噴火なのか、水蒸気爆発なのかはこの定義では区別されていないように思える。

 阿蘇山(高岳)に初めて登ったのは1973〜4年頃だったと思う。阿蘇山の火口は、火口底が見えていたが、その後再び登った時は水が溜まっていた。溜まり水(湯だまり)が消えると危ないと言われるが今回はどうだったのだろうか。

 もう1つ懸念されるのは、熊本地震との関連である。これまでのところ、地震と噴火との関連性はあまりないとされているが(火口内で土砂崩れが発生し火山ガスや蒸気によって噴き上げられる規模の噴火はありうる)、いましばらく警戒が必要かもしれない。その一方、過剰な風説被害も避けなければならない。




海洋船舶画家・上田毅八郎

 10月8日朝のNHKニュースで、今年の6月18日に95歳でお亡くなりになった上田毅八郎の話題を取り上げていた。リンク先に記されているように上田毅八郎は、子どもの頃から船舶や飛行機の絵を得意としており、戦時中は上官の目を盗んで船のスケッチをしていたという。上田の乗った輸送船は合計6回撃沈され、金華丸が攻撃され沈没した時には負傷し障害を残した。戦後は、塗装業の傍ら艦船などの絵を描き続け、地元の評判が伝わり、田宮模型の艦船プラモデルの箱絵の大半を描いたという。10月9日まで追悼展が開かれている

 上田さんの絵は精密なばかりでなく、船体の錆びやすい場所なども経験に基づいて描かれているという。ちなみに、私が子どもの頃はプラモがブームになっていたが、私自身は不器用なこともあって、模型屋(←確か、世田谷線の西太子堂駅近くにあった)のショーウィンドウ越しに眺める程度で、自分で造り上げたことは一度も無かった。【もっとも、上田さんが箱絵を描いていたプラモは1971年頃からのシリーズのようなので、私が子どもだった1960年代とは少しずれているかもしれない】