じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡山市中心部を流れる西川(西川用水、西川緑道公園)は、三野公園の南東部より取水し児島湾に流入している。日曜日の午後、このうちの、南方4丁目から大和町1丁目のあたりを散歩してみた。場所によっては川沿いに道がついていない区間もあった。途中、古びた親柱(控柱?)や祠などもあり興味をひかれた。

2016年10月16日(日)



【思ったこと】
161016(日)2016年版「人はなぜ○○するか?」(6)人はなぜ泣くのか?(2)

 10月14日の続き。

 前回も述べたように、「泣く」という行動は「笑う」とともにレスポンデント行動であり、結果によってコントロールすることはできない。何らかの先行条件がそれらの行動をもたらしていると考えられる。(別に、オペラント的な「うそ泣き」、「つくり笑い」などはある。)

 また、「笑う」がほぼ人間特有の行動であるのに対して、「泣く」に類似した行動は人間以外の動物でも広く見られる。「赤ちゃんは泣くのが商売」と言われるくらいで、生まれた直後の時期に最初に発することのできる行動の1つであるとも言える。

 赤ちゃんが「泣く」ということは、何らかの不快状態や不足状態を親や保護者に伝えるコミュニケーションとして機能しており、適応的価値がある。これは人間以外の動物でも同様であるが、すべての動物がお乳が欲しい時に泣くわけではないし、外敵から襲われそうになった時には逆に声を立てずにじっとしているヒナもある。けっきょくそれぞれの種において、自然選択のプロセスの中で、「泣く」という行動が適応的に働いているか、非適応的に働いているのかによって決まってくるものと思われる。

 もっとも、「人はなぜ泣くのか?」という疑問は、赤ちゃんではなく、成人に対して向けられたものであろう。経験的に言えば、成人が泣くケースとしては以下の2通りが考えられる。
  • 大切な人やモノを失ったり、努力の結果が報われなかった時に泣く。
  • 感極まって泣く。
 これらは、程度の差こそあれ(←涙もろい人と人前では絶対に泣かない人)、泣く行動が生じる先行条件が人間の間で共通しているため、なぜ泣いているのかということは他者にも容易に把握することができる。このことが、共同体の中でも相互支援にプラスに働いている可能性がある。

 最初にも述べたように、「泣く」という行動自体はレスポンデント行動であり結果によっては制御できない(泣いている人を罰しても泣き止むことはないし、泣くという行動に報酬を与えても頻度が増えることはない。) 泣くという行動がいっけんオペラント行動的に見えるのは、じつは泣くための先行条件への接触をコントロールしているためである。大切な人を失った時に、その人の写真や形見に接したり思い出話をすれば、それらが先行条件となってますます泣くようになるだろう。逆に、亡くなった人に関係の無い環境に接したり、その人に無関係の環境に身を晒せば、結果的に悲しみをもたらす先行条件が取り除かれるので、泣くという行動は低下する。

次回に続く。