じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山では冬型の気圧配置のもと、ほぼ快晴の夜空が続いている。写真左は、ライトアップされた岡山タワーと金星。写真右は、月齢26.2の月と木星。ちなみに、11月26日朝の最低気温は3.1℃まで下がり、この冬一番の冷え込みとなった。県北の千屋は氷点下3.1℃。 |
【小さな話題】 菅原文太さんの晩年 毎週土曜日、朝食時に視ているNHK映像ファイル「あの人に会いたい」で菅原文太さんを取り上げていた。 菅原文太さんと言えばヤクザ映画という印象が強いが、私自身はこの種の映画には全く興味が無く、その後のトラック野郎シリーズを含めて、菅原文太さんご出演の映画は一本も観たことが無かった。そんなこともあって、2014年11月にお亡くなりになった時も、有名な映画俳優のお一人であったという程度にしか受け止めていなかったが、今回の番組を拝見したところ、晩年は俳優時代からは想像もつかない風貌になっておられた。ウィキペディアのリンク先にも記されているように、晩年は山梨県韮崎市で耕作放棄地を使って農業を始めたり、平和運動、反原発などの活動・発言をされていたという。 今回の番組を視なかったら、菅原文太さんの晩年の別の側面を知ることも無かったかもしれない。私自身も定年退職まで残り500日余りとなるが、現役時代の人生と晩年の別の人生を考える上で大いに参考になった【もっとも、私自身は定年退職後は隠遁生活を目ざしており、からだが動くうちは旅行や園芸、からだが動かなくなったらRPGゲームにのめり込む、という以外には興味がないが...】。 スーパーローテーションを発見したシャルル・ボワイエ 11月17日に放送された NHK「コズミックフロント」:金星 ビーナスの素顔に迫れ!!」 を録画再生で視た。特に興味深いのは、60年前、スーパーローテーションを発見したアマチュア天文家のシャルル・ボワイエのエピソードである。シャルル・ボワイエは当時のフランス領で裁判官をしていたが、1957年、本国の天文台から金星を紫外線で撮影してほしいとの依頼を受けた。観測を始めてまもなく、彼は金星表面にある模様が現れることに気づいた。その周期は4日ごとであった。彼はさらに観測を続け、1969年11月に「地球の自転と逆方向に4日で回転する金星外層の雲について」という論文を発表した。しかし、その発見を特集したアメリカの天文雑誌では、論文を読んだカール・セーガンから「A young Harvard astronomer named Carl Sagan rejected the paper on the grounds that "four-day rotation is theoretically impossible, and shows how foolish the work of the inexperienced amateur cam be.(4日間で大気が循環【回転】する事など論理的に不可能であり、経験の浅い素人の観測がいかに愚かな事であるかの証拠だ)」という批判的なコメントが寄せられていたという。 1969年といえば、当時私は高校の天文部にいちおう所属していたが、中学時代に比べると天文への興味が相当程度に失われており、こうした経緯を耳にしたことは無かった。 天文学は、限られた観測データだけから推測することもあって、さまざまな仮説が立てられやすいいっぽう、ある種の固定観念にとらわれていると、それと全く違った発想による理論を頭ごなしに否定する傾向もあるように見受けられる。もっとも、新星や水星発見などはアマチュア天文家の貢献が大きく、アマチュアが最も貢献しやすい学問分野であるとも言える。そういう意味では、【あくまで番組で伝えられた限りでの内容に基づいているが】上掲のカール・セーガンの偏見は、大きな教訓になるであろう。 ※念のためネットで検索したところ、ボワイエの最初の論文は1969年ではなく1965年に発表されているようであるがフランス語のため私には読めない。1969年の論文は共著。また、英文と思われる論文は1973年公刊となっていた。【いずれもフランス語のアクサンテギュは省略】
| tr>