じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大・津島北キャンパスから西方向の山の上にパルテノン神殿のシルエットのような形に樹木が並んだところがあり半田山のパルテノン神殿として半田山七不思議の1つに挙げている。(←長谷川が勝手に選定。) このシルエットは1年中見えているが、周囲の落葉樹が葉っぱを落とす冬の時期にはとりわけ際立って見える。 現地はいったいどこにあり、どんな森になっているのか気になるところだが、航空写真では位置を特定することができない。「尾治針名眞若比め神社」の森という可能性があるが、確認できていない。 |
【思ったこと】 161216(金)関係反応についての講義メモ(32)長谷川の考え(6) 昨日の続き。 種々の刺激関係の中でも最も基本的で重要と思われるのは「同じ」にまつわる反応であろう。しかし、これはひとくくりにできない。 「同じ」には、
このうち1.については、必ずしも知覚機能に頼らなくても対処できる場合がある。なぜなら物理的性質が同一であれば、その刺激が及ぼす影響も同一であり、同じ効果をもたらすからである。植物でも機械でも、物理的性質に反応するセンサーが備わっていれば、同一であるものを選び出すことができる。もっと単純な自然現象においても、同じ力が加われば同じような反応が起こる。自転車のペダルを同じ力で漕げば、(平地であって同じギヤであれば)同じような走り方をするが、別段、ペダルが「同じ力である」と見分けているわけではない。 動物の場合も、必ずしも知覚機能に頼っているわけではない。確かに、餌を探したり、家族を見つけたり、地形上の同じ場所に戻ったり、天敵を見分けたりする時には知覚機能が重要な働きをするが、かなり大ざっぱな場合もある。例えば、トゲウオの仲間イトヨのオスは、縄張りに侵入した別のオスに対して攻撃をしかけるが、下半分が赤い模型に対しても同じように攻撃することから、かなり大ざっぱな反応をしているものと推測される。 「同じ」という反応でもっと重要なのは、物理的性質がある程度異なっている刺激をひとくくりとして「同じと見なす」場合にある。物理的な性質が全く異なっている場合は、ふつう、「恣意的な関係」と呼ばれる。もっとも、色や形が違う対象を同じと見なすことがすべて「恣意的」であるとは限らない。例えば、ニワゼキショウの花の色は2種類または3種類以上あるが、ヒナギキョウの花とは異なる。どれを同じ種類と見なすのかは、恣意的ではなく、植物学的な基準に基づいて非恣意的に決定されている。動物においても、ニワトリの成体とヒヨコのように親と子の色や形が異なる場合もあるし、ツマグロヒョウモンのようにオスとメスで羽根の模様が異なる昆虫もある。 次回に続く。 |