じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 生協マスカットユニオン入口に「いーちょ」と「岡大お守り」が出現。昨年は初詣に間に合うように1月7日に設置されていたが、今年は準備に手間取ったようだ。あるいは、センター試験前に設置すると受験生に霊感商法ではないかという誤解を与える恐れがあったためかもしれない。「岡大御守」についてはこちらに情報あり。個人的には「落ちないイチョウ」と「落ちない楓」の葉っぱのほうが御利益があるように思う。

2017年1月19日(木)




【思ったこと】
170119(木)二人称や三人称の苦悩(8)ルール支配行動と自己(5)

 1月18日の続き。

 今回は書き残した点をいくつか。

 まず、一人称複数の「私たち」だが、野球やサッカーで特定のチームを熱烈に応援する場合は、家族や会社を「私たち」と呼ぶ場合とはかなり異なっているように見える。家族や会社のために貢献することは、長期的には、当事者個人にとってもプラスになる結果を招くが、例えば阪神タイガースを熱烈に応援したところで、応援者自身の生活が改善されるわけではない。(←球団やデパートなどは優勝することで収益を増やすことはできるが。)

 次に、「二人称や三人称の苦悩」のバリエーションとして、ペット依存がある。これもあまりにもエスカレートすると日常生活に支障をきたすようになるし、ペットロスによる深刻な事態に陥りかねない場合がある。

 もう1つ、これは今回の連載とは別に考える必要のある大きな問題であるが、利己主義あるいは利他主義と人称別苦悩との関係も検討しておく必要がある。他者のことをまったく配慮しない人は利己主義者と言われるが、利己主義的なライフスタイルと、自分自身のことばかりで思い悩む人のライフスタイルは一致しない。自分のことしか考えられなくなったからといって利己主義者とは呼べないだろう。

 これらの問題について、来年度の授業開始までには私なりの考えをまとめておく予定。