じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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半田山植物園近くの門出川橋梁を通過する「みまさかノスタルジー」。9月末までの毎週土曜日に、1日4往復、この車両で運転されている。(それ以外の日も他の車両と連結したり、別の時刻に運転されているようだ。) 「門出川橋梁」の由来については未確認だが、こちらに記したように、橋梁の下を流れる小川の水源が法界院の境内にあるためではないかと、勝手に推測している。 |
【思ったこと】 170624(土)ボーム『行動主義を理解する』(39)目的と強化(1) 6月23日に続いて、 ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社. の話題。今回から5章に入る。 第5章は、タイトルの通り、「目的」について、巨視的行動主義の立場からの見解が表明されている。5章に入る前に、まず私自身が考えてきたことを先に述べさせていただく。 一連の行動が、ずっと先の大きな変化をもたらすような形で、相互に連携しながら遂行されている時、我々はしばしば、それらの行動を「目的を持った行動」と呼ぶ。しかし、5章の冒頭にも記されているように、行動分析家は、内的な目的が活動を導くというような考え方をしない。 人間が、直後の結果ばかりでなく、ずっと先にある大きな結果を目ざして「目的」的に振る舞えるのは、ルール支配行動によるものと考えられる。「こうすればこうなる」という随伴性が言語的に記述されると、ルールを守ること自体が強化され、ルールに反する行動自体(もしくはルールを遂行しないこと自体)が嫌悪的な結果となる。例えば、入試合格をめざす行動は「こういう勉強をすれば合格できる」というルール支配行動として遂行される。なぜなら、合格というのはずっと先にならないと達成できない「大きな結果」であって、日々の受験勉強には直接随伴しない。しかし、そのようにルールが記述されることで、受験勉強自体はルールに一致しているという結果によって、「好子出現の随伴性」(ルールに一致しているという結果)と、「好子消失阻止の随伴性」(勉強しないと合格という好子が消失する)によって並行的に強化されていく。いっぽう、そのルールに反する行動、例えばゲームに熱中するような行動は、ルールに反するという嫌悪的な結果によって弱化されるようになる。なお、ルールが遂行される仕組みは、関係フレーム理論ではさらに一歩進んだ説明がなされている。 もっとも、上記は、なぜルールが守られるのかは説明しているが、なぜそのようなルールが作られたのかを説明しきれていない。また、そもそも、すべての人が入試合格を目ざすわけではない。そういうルールを作らない人もいるし、作ろうとしてもちっとも守れない人もいる。そういう意味でも、巨視的行動主義の立場に耳を傾ける必要はあるかと思う。 次回に続く |