じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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蒜山高原で、言葉を覚えながら散歩する孫。
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【思ったこと】 170902(土)孫と散歩しながら実感する関係フレームの確立 岡山に帰省した孫たちと一緒に蒜山高原に行ってきた。 上の孫は、いま、いろいろな物に興味を示す。2人で散歩していると、次々と「何これ、何これ」といって色々なものを指さす。 大人が散歩している時には、その存在さえ気づかずに通り過ぎてしまうような電柱にも「何これ」と訊いてきた。最初は何を指さしているのか分からなかったが、「デンチュウ」と答えると、電柱を見つけるたびに「デンチュウ、デンチュウ」と発話していた。 道沿いの排水溝が小さな滝を作っているところでは、自分から「フンスイ」と言っていた。以前、どこかの公園で、水が音を立てて流れているところを「噴水」と教わったので、それが般化したものと思われる。私のほうからは特に否定せず、そうだね噴水だねと言っておいた。 具体的なモノ以外では、「苦い」、「辛い」、「美味しい」、「暗い、夜だ」、「まぶしい」といったタクトが発せられた。特に、味覚は私的事象であるゆえ興味がひかれた。そういう味の食べ物を口にした時に、大人が横から味の名前を言ってやることで自然に身についたようである。 また、その場所から立ち去る時に、「バイバイ ○○」というように、移動に関する発話も確認できた。 1年ほど前に関係フレーム理論の話題を取り上げたことがあった。 対称律に関する複数の範例による訓練(multiple-exemplar training)を受けること、とりわけ幼少期において、モノとその名前を双方向に一致させる訓練(symmetrical responding between words and objects)を受けることは、恣意的に適用可能な派生反応(Arbitrarily Applicable Relational Responding、AARR)の基本中の基本ということになる。その確立を通じて、幼児は、モノの名前と実物の間に物理的共通性が全く無い場合でも、特に教わることなしに、対称的な関係を派生させることができるようになる。30年ほど前に息子を連れて散歩していた時には全く気にとめていなかったが、今回、孫の行動を見ていると、確かに、「モノ→名前」を学習すると「名前→モノ」も併せて学習されていくことが実感できた。 |