じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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長雨のなか、岡大構内ではキノコも出現。もっとも、気温が違うせいか、7月頃に生えるキノコは今のところ全く見られない。 |
【思ったこと】 171017(火)日本行動分析学会第35回年次大会(9)超高齢社会における行動分析学(7)巨視的視点(4) 今回の話題提供では、ライフスタイルは、個別の行動ではなく、活動単位で構築する必要があると強調した。ここでいう「活動」は、巨視的にとらえた1種類の行動ではなく、複数種類の行動のまとまりに対するラベルである。微視的な行動でも巨視的な行動でも、1種類の行動である限りは、それは三項随伴性(直接効果的な随伴性)により強化・弱化されるか、ルール支配行動として継続する。これに対して、1つの活動に含まれる種々の行動は、必ずしも個別に強化される必要はないというのが、「活動」概念を導入することによる新たな見方ということになる。 この新たな見方は、日常生活ではしばしば体験されるはずである。例えば、山登りを楽しみにしている人は、普段から階段の上り下りをしたり、足首に重りをつけて歩くといったトレーニングをするが、その場合、トレーニング行動自体は個別に強化されなくても継続されるであろう。複数のトレーニング行動と、実際の山登りは、全体として「登山活動」を構成し、包括的に強化されていると考えるべきである。 いま述べた登山活動は、手段(トレーニング)と目的(登頂)に分けることができるタイプであるが、活動の中には、「ボランティア活動」や「地球環境保護活動」のように、手段―目的関係がはっきりしていない行動群から構成されるものもある。要するに、「活動」は必ずしも、目的的であるとは限らない。さらに言えば、当面の目標が掲げられているような活動であるからといって必ずしも、目的的とは言えない場合もある。過酷な練習に励むオリンピック代表選手の場合、金メダル獲得が目的で、練習は手段であるように見えるが、実際にメダルを獲得した後には、さらに新たな目標が設定される(「連覇」とか「世界新記録」)。また、引退後も監督や解説者としてスポーツ活動を継続していることからみて、活動全体は必ずしも目的的とは言えないように思われる。 「活動」を以上のように特徴づけることは、ACTにおける「価値」と似ているようにも見える。じっさい、ハリス(2012)は、ACTの紹介書の中で、「価値」を以下のように特徴づけている。
次回に続く。 |