じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 工学部前の防火用水池に咲いていた睡蓮の花を撮影したところ、カナリーヤシ(フェニックス)も写っていることに後から気づいた。ヤシの種類は異なるが、この構図は、サン・ルイスの某ホテルの庭と酷似していた。

2017年10月24日(火)


【思ったこと】
171024(火)日本行動分析学会第35回年次大会(13)超高齢社会における行動分析学(11)巨視的視点(8)

 10月22日の日記で、「活動」という巨視的概念を導入することの意義として、
  • 「活動」を構成する行動は、必ずしも個別に強化されなくても継続する。
  • ミルの「高級な喜び」やマズローの「自己実現欲求」も、個々バラバラな行動のうちのどこかに見出されるのではなく、複数の行動がどういうまとまりを構成するのかという点で評価できる可能性がある。
という2点を挙げた。

 3番目の意義は、活動を構成する行動の一部は、別の行動に切り替えることができるという点である。これは、今回の話題提供に直接関係している。加齢による身体的衰えや、病気や事故による障がいによって、特定の行動を続けることができなくなる場合がある。この問題を個々の行動レベルで微視的に捉えていたのでは、「その行動を諦める」、「○○ができなくなったので、しょうが無いので、別の行動に切り替えた」といった消極的な対応しかできない。しかし、当該の行動が、その人のどのような活動を構成しているのかを明確にすれば、同じ活動に含まれるような別の行動に切り替えることで、その活動を継続することができる。要するに、加齢によって、微視的レベルではできなくなるような行動は多々あるが、巨視的な「活動」というレベルでは、終生継続が可能であるということだ。

 例えば、街歩きを楽しみにしていた人が加齢により歩行困難になった場合、歩行という行動はそれ以上続けることはできないが、グーグルのストリートビューを操作してバーチャルな街歩きを楽しむ行動に切り替えれば、「街歩き」という活動自体は継続することができる。また、スポーツ選手は現役を引退すれば、競技スポーツという行動自体はそこで終了するが、そのあとで監督になったり、子どもたちへの普及に取り組むことで、「活動」としてのスポーツは続けることができる。このように、その人が生きがいとしている諸行動は、
  • 微視的なレベルの個々の行動ではなく、巨視的なレベルの活動として捉え
  • 必要に応じてそれを構成する行動の一部を取り替える
という形で、スムーズに継続し、全体としてのバランスを調整していくことができる。

 次回に続く。