じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡大西門交差点の南西側にある紅白のサザンカ。サザンカは、開花時にも次々と蕾を出しており花期が長い。


2017年12月18日(月)


【思ったこと】
171218(月)自分とは何か(1)

 入門科目で「自分とは何かの心理学」という話をすることになっている。概要としては、
  • 視点取りと心の理論
  • 人称、多重志向性
  • 視点取りができるようになることと、他者の気持ちを思いやったり共感することとは別。視点取り自体は、マージャンで他者の手の内や戦略を予想することとあまり変わらない。
  • 関係フレーム理論、ACTにおける自己の3つの側面。「思考する自己と肉体、そして観察する自己の複合体」。
  • 「人生は活動の束」メタファーにおける自己の捉え方
といった内容を予定しているが、なかなか、これで納得という道筋を示すことはできない。

 「自分とは何か?」という問いは、自分という存在を初めから前提にしている人と、もしかしたら「自分」というのは虚構ではないかと考えている人では、解決のアプローチが異なってくる。

 前者の場合は、存在している自分の特徴や、使命、目的などを問いかけることになる。宗教を信じている人はそれに頼る。いっぽう、「自分」というのはもしかすると虚構ではないかと考える人は、どういう思考や感情が自分の本質を構成しているのか、何を取り去れば自分は消えてしまうのか、といったアプローチをとることになるだろう。いずれにせよ、以下のような疑問が解決できれば、いくぶん納得ができるようになるはずだ。
  1. なぜ自分は、この時代、この場所で生きているのか?
  2. なぜ自分は他人と入れ替わることができないのか?
  3. 高性能のロボットに自分を移し替えたら、永遠の命を手に入れることができるだろうか?
  4. 自分を冬眠状態にして100年後に目が覚めた場合、過去の自分とのアイデンティティーを保つことができるだろうか?
  5. 自分に前世や、生まれ変わりがあったとして、アイデンティティーを保つことができるだろうか?
  6. 自分が持ち合わせているモノ(能力、特性、機能、...)の中で、他者や機械には絶対に移せないものは何だろうか?
  7. 自分の行動が予測された時、その予測と正反対の行動をとることができるということは、自分の存在証明になるのだろうか?


 次回に続く。