じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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12月22日で、定年退職までジャスト100日となった。(12月が残り10日、1月1日から3月31日までが90日、合計100日。) なお、この100日というのは、私個人だけでなく、3月末で卒業する学生や大学院生、60歳定年の事務職員などすべてに該当する。 なお、12月22日は冬至の日でもあった。冬至から翌年3月末の日数(冬至の日を含む)は今回は100日ジャストであるが、冬至が12月21日で翌年が閏年の時は102日になることもある。グレゴリオ暦による365日からの超過分の調整のルールで西暦2000年が閏年となり超過分がそのまま積み残されたため、西暦2100年に近づくにつれて、12月21日が冬至になる年が増え、2096年から2099年までの冬至はすべて12月21日となる。【ウィキペディア参照。】 |
【思ったこと】 171222(金)関係、対応づけ、文脈をめぐる議論(3)文脈とは?(1) 昨日の続き。今回の議論の中でもう1つ分かりにくいのが「文脈(context)」という概念である。ACTの入門書などでは、行動分析学は機能的文脈主義であるといった記述もあるが、そもそも文脈とは何かという点については、これでやっと分かった!というような明解な説明はなされていないように思われる。また、スキナーの『科学と人間行動』の中には、私がキーワード検索した限りでは「context」という言葉は一度も出てこない。「機能的文脈主義」という時の「機能的」については十分理解できたつもりでも、なぜ文脈主義でなければならないのかは非常に分かりにくい。 では、そもそも文脈、あるいは文脈主義とは何か?ということになるが、武藤(2011、『ACTハンドブック』第1章)では、Pepperの世界仮説に基づいて、
武藤(2011)はさらに、文脈主義を記述的文脈主義と機能的文脈主義に分類し、後者に属するとされる行動分析学を、 ...いわゆる心理学的な事象も,有機体(awhole organism)が生起させる連続的な行為と,歴史的(時間的)・状況的(空間的)に規定された文脈との相互作用として捉える。つまり,行動分析学における三項随伴性(“three-term contingency"のことであり,「弁別刺激」…「反応」…「結果」というユニットで定式化されるもの:詳細については第2章を参照)という分析ユニットは,実験者・観察者が恣意的に設定・文節化するものであり,先験的にかつ個別に「弁別刺激,反応,結果」が存在するとは捉えないのである。そのように捉えれば,実験者・観察者も,文脈や全体から引き離されることはないのである。というように特徴づけている。 元の「文脈とは何か?」の話題に戻るが、私自身は、もう少し観点を変えて、「文脈が同じとはどういうことか?」から捉えるのが一番分かりやすいのではないかと考えている。すなわち、オペラント行動が発せられる場面で言えば、行動が特定の参考随伴性で強化されるような時間・空間は「同じ文脈にある」と言える。微視的に言えば、1つの強化スケジュールのもとで行動している時間・空間ということになる。もし、強化スケジュールがFIスケジュールからVIスケジュールに移行したり、強化が中止されたり(=消去)すれば、微視的な意味では異なる文脈に変わったということになる。いま述べたのは微視的レベルの文脈であるが、もっと微視的に捉えれば、FIスケジュールで1つの反応が強化される前と、強化された直後では文脈が異なるとも言えるし、逆にもっと巨視的に捉えるならば、実験室の中と外では文脈が異なり、さらには生活空間のさまざまな場面において異なる文脈に入れ替わっていると言うことができる。 ここで重要なのは、実験者や観察者が操作する文脈と、そこで行動する当事者(もしくは被験体動物)にとっての文脈は必ずしも同一ではないということである。例えば実験者がネズミを実験箱に入れて、FIスケジュールによる強化を開始したとする。しかし、中に入れられたネズミは居眠りを初めて一度も反応しなかったとする。この場合、ネズミにとってはねぐらの飼育箱と実験箱では何も文脈は変わらないと言える。 見本合わせ手続の場面における「文脈」についても、実験者がどういう正解ルールを設定していたかということと、実験参加者が何を弁別刺激としてどのように行動していたのかということは区別して考えていく必要がある。 次回に続く。 |