じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 写真で綴る岡大20年(6)時計台・図書館の2013〜2014年改修
 昨日も述べたように、岡大の中央図書館は2008年と、2013〜2014年の2回にわたり改修された。今回の写真は、
  • 写真左上:2008年改修後の様子。
  • 写真右上:2013年10月。2回目の改修が始まった頃。
  • 写真下:2014年4月。2回目の改修がほぼ完了。
 改修工事がなぜ2回に及んだのかは不明だが、1回目の時は時計台の外装が大きく変わっただけで、館内に大きな変化は無かった。これに対して2回目は、時計台は全く変わらず、旧館の館内が大幅にリフォームされたと記憶している。

2018年2月15日(木)


【思ったこと】
180215(木)ボーム『行動主義を理解する』(86)自由(1)

 2月14日の続き。今回より第V部社会問題の中の第9章「自由」に入る。ちなみに、この第V部「社会問題」は、
第V部は、決定的な答えをほとんど提供しない。しかし、その代わり行動的アプローチという新鮮なアプローチを提供する。行動的アプローチは、行動分析学が世界の問題を解決するのに一役買うことができるということを示そうとする。単純な、あるいは決定的な解決がなくてもかまわない。なぜなら行動的に考えれば、解決につながるような方法で私たちの問題をとらえることができるからである。問題の解決作業の半分は、その問題を正しい言葉でとらえることである。強化、誘導、そして刺激性制御という概念を使わずに行動を変化させようとすることは、原子論を考えずに新たな化学薬品や物質をつくろうとするようなものである。
ということが狙いとされている。

 第9章の「自由」についても上記と同じ狙いがある。すなわち、自由とは何か?という問題は、けっきょく、「自由」という語がどのように用いられているのか、行動的な用語によってどう記述できるのかを明らかにすることで解決できる。

 第9章の冒頭では、「自由」について、3つの使われ方があると述べられている。【長谷川による改変あり。】
  1. 拘束から解放されるときに語られる自由。奴隷からの解放。
  2. ある種の選択をする時に、強制や制限を受けない自由。政治的自由や思想信条の自由。
  3. 宗教的自由。比喩的な拘束からの解放。
 このうち1.は、ある行動が可能であるかどうかを言っているだけで、行動分析学では問題にならないとされている。同じ意味では、例えばスキナー箱に入れられたラットにとって、スキナー箱からレバーが取り除かれている時は「レバーを押す自由がない」、再びレバーが取り付けられれば「レバーを押す自由を得た」と言うことができる。我々は、常に呼吸をしたり、歩いて移動したり、語ることを学んだりしているが、これらも同様の意味では、「呼吸する自由」、「歩いて移動する自由」、「語ることを学ぶ自由」を得ていると言える。しかし、我々は必ずしも、それらを自由に選んでいるわけではない。また、「呼吸する自由」があるといっても、「呼吸しない自由」を選択することはできない。

 スキナーが「行動し、正の強化を受けている時(好子出現により強化されている時)、われわれは自由であると感じる」と述べているのもまさにこのことを言っているのである。

次回に続く。