じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る


 写真で綴る岡大20年(8)旧・将校集会所の取り壊しと謎の石膏像  1998年12月12日の朝に、旧・将校集会所が解体された。現在の岡大の文・法・経三学部構内は、もともと第17師団の輜重兵第17大隊(工兵第10大隊のち同第10連隊)の兵営になっていた。その西南の角地には、見習士官・少尉以上の幹部の部隊内クラブ(将校集会所)があり、資料には“庭園を備え、日支事変出征記念と彫った石燈籠が残る。”と記されている。
 少し前に、某映画監督がロケの候補地として訪問されたこともあったようだが、結局ボツに。特に保存運動も起こらないままに、先月の旧・第四喫茶建物に続いて解体された。戦後すぐに保存処置がとられていれば明治村あたりに移築できたかもしれないが、すでに屋根の一部が崩れており、解体はやむを得ないところがあった。
 2号館の非常階段よりその作業を30分ほど拝見した。実際に作業をされていたのは、重機を動かす人を含めて3人程度。いつもながら、重機を人間の指先のように動かすさまには感心してしまう。
 途中、その重機で、瓦礫の中から白い石膏像が丁寧につまみ出された。この建物の一部は持ち主不明の自転車の一時保管場所とか廃棄される備品類の倉庫としても使われていたので、その際に放置されていたものかと思われるが、なぜここに置かれたままになっていたのか不明である。

2018年2月17日(土)


【思ったこと】
180217(土)羽生(はにゅう)が勝ち、羽生(はぶ)が負けた日

 土曜日、平昌オリンピック・フィギュアスケート男子で、羽生結弦選手が金メダルを獲得した。同じ日には、第11回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)の本戦準決勝で、羽生善治・二冠が藤井聡太・五段に敗れた。同じ「羽生」姓でありながら、スケートの羽生選手は「はにゅう」、将棋の羽生・二冠は「はぶ」と読むところが興味深い。

 ネット情報(名字研究家・高信幸男氏)によると、「羽生」の読み方の比率は、全国では「はにゅう」が85%、「はぶ」が15%とのことだが、将棋ファンの私は、「羽生」という漢字を呈示された時には、まずは「はぶ」と読んでしまう。

 オリンピックの中継は殆ど観ていないが、会場が「冬ソナ」のロケ地であったということで、このところ、ダビングしてあった「冬ソナ」のドラマのほうを一通り観た。もっとも、撮影当時のスキー場と、いま現在のオリンピック会場とではずいぶんと景色が変わっているのではないかと思う。

 いっぽうの将棋のほうだが、先日、C1級への昇級により四段から五段になったばかりの藤井五段は、羽生二冠に続いて広瀬八段にも勝利して朝日杯に優勝。これにより中学生では初となる六段昇段が決まったというからスゴイ。




 将棋に関連して、2014年12月4日の日記で、「井山・糸谷・逸ノ城」の時代が到来しそうな予感であると述べたことがあったが、いぬ年の今年、「い」で始まる3人は、
  • 井山裕太・七冠は国民栄誉賞受賞。すでに井山時代を実現。
  • 糸谷哲郎・八段は、竜王失冠後は停滞しているように見えたが、今期の順位戦でA級への昇級を決める。
  • 逸ノ城は、怪我を克服し、昨年十一月場所と今年の一月場所で連続して10勝5敗の好成績をあげた。
ということで、ますますその期待が高まっている。