じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 180225(日)ボーム『行動主義を理解する』(94)自由(9) 第9章の最後のところでは、自由と幸福に関して以下のように結論されている。 社会的自由を唱える人たちは、行動の制御のために脅しや弱化が使われることに反対する。なぜなら、強制された人たちは幸福ではないからである。精神的自由を唱える人は、長い目で見れば、より大きな幸福がもたらされるような長期の強化関係の効果を強調する。社会が望ましい行動に対して正の強化をアレンジし、長期の強化関係をサポートするなら、その社会で生活する市民は、生産的であり、幸福である。この結論部分は、翻訳書ののちに刊行された第3版でも変わっていない。 Advocates of social freedom oppose the use of threats and punish ment to control behavior, because people who are coerced are unhappy. Advocates of spiritual freedom strengthen the effects of long-term reinforce ment relations that bring greater happiness in the long run. When a society arranges positive reinforcement for desirable behavior and supports long-term reinforcement relations, its citizens are productive and happy.スキナーがもともと述べていたように、我々には「いつ、なんどき、好き勝手になんでもできる」というような自由は存在しない。我々はまず、自然環境の法則に逆らって行動することはできない(生命に危害を及ぼすような環境変化をある程度防ぐことはできるが、それを防ぐ体制は物理法則にのっとって構築されなければならない。) 「好き勝手になんでもできる」というのは、じつは「好子出現の随伴性で強化されている」ことと同じことを意味している。「好き勝手に」という時に、わざわざ嫌子出現や好子消失といった結果を招くような行動を選ぶ人はいない。(もし居たとしたら、定義上、その嫌子はその人にとっては好子であったというだけのことである。) 好子出現で強化されることは必ずしも幸福をもたらさない。理由は、
次回に続く。 |