じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 定年退職記念・岡大の花(4)花桃

 文学部西側には私の赴任前から一重咲きで赤色に近い花桃の老木があった【写真左上】。老木自体はその後枯死してしまったが、実生の子株、孫株が数本残っている。このほか、八重咲きでピンク色の花桃も実生で5本ほど花を咲かせている。

 文学部以外では、津島東キャンパスの野球場南西側に3色の花桃があるが【写真右上】、あまり目立たない。このほか、果実としての桃の畑が農学部農場にあり、塀越しに眺めることができる。

2018年2月25日(日)


【思ったこと】
180225(日)ボーム『行動主義を理解する』(94)自由(9)

 第9章の最後のところでは、自由と幸福に関して以下のように結論されている。
社会的自由を唱える人たちは、行動の制御のために脅しや弱化が使われることに反対する。なぜなら、強制された人たちは幸福ではないからである。精神的自由を唱える人は、長い目で見れば、より大きな幸福がもたらされるような長期の強化関係の効果を強調する。社会が望ましい行動に対して正の強化をアレンジし、長期の強化関係をサポートするなら、その社会で生活する市民は、生産的であり、幸福である。
この結論部分は、翻訳書ののちに刊行された第3版でも変わっていない。
Advocates of social freedom oppose the use of threats and punish ment to control behavior, because people who are coerced are unhappy. Advocates of spiritual freedom strengthen the effects of long-term reinforce ment relations that bring greater happiness in the long run. When a society arranges positive reinforcement for desirable behavior and supports long-term reinforcement relations, its citizens are productive and happy.
 スキナーがもともと述べていたように、我々には「いつ、なんどき、好き勝手になんでもできる」というような自由は存在しない。我々はまず、自然環境の法則に逆らって行動することはできない(生命に危害を及ぼすような環境変化をある程度防ぐことはできるが、それを防ぐ体制は物理法則にのっとって構築されなければならない。)
 「好き勝手になんでもできる」というのは、じつは「好子出現の随伴性で強化されている」ことと同じことを意味している。「好き勝手に」という時に、わざわざ嫌子出現や好子消失といった結果を招くような行動を選ぶ人はいない。(もし居たとしたら、定義上、その嫌子はその人にとっては好子であったというだけのことである。)

 好子出現で強化されることは必ずしも幸福をもたらさない。理由は、
  1. 好子出現で強化されているように見えても、実質的には「好子消失の随伴性」として強制される恐れ
  2. 短期的な結果で強化されていても、長期的には大きな嫌子が出現する場合がある。
  3. 短期的には嫌子出現で弱化されやすい行動でも、長期的には大きな好子が出現する場合がある。
 このうち2.と3.の問題はルール支配行動の中で解決できる可能性がある。あるいは、上記の引用のように、社会によって、付加的な好子を随伴させる仕組みが用意されている場合もある。社会的に適応するようなライフスタイルと、社会から孤立するようなライフスタイルのどちらを選ぶのかは個人の自由であるが、前者を選んだほうがより好子出現で強化されやすいことは間違いない。自給自足ができたとしても、その時代の社会体制から独立して生きることは非常に難しい。

 次回に続く。