じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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3月1日の岡山は、発達しながら日本海を通過した低気圧の影響で強風が吹き荒れ、最大瞬間風速は25.1メートルに達した。また、午前1時から24時までの毎時の観測で24回中11回、風速10メートル以上を記録した。 写真はマスカットユニオン前で吹き飛んだテーブル。 |
【思ったこと】 180301(木)徹底的行動主義をめぐるBaumとMooreの論争(4) Baumによれば、Mooreの本ではSkinner以後の発展が紹介されていないばかりでなく、Skinner自身の著作に見られる不明点や自己矛盾的な記述についても指摘されていない。さらにMoore自身が付け加えた部分についても問題があり、その中でも最も問題となるのが私的事象に関する記述であるという。すなわち、私的事象と公的事象の唯一の違いは聞き手の人数にあるとしている点である。 121頁からはSkinnerの「誤り」がいくつか論じられている。 まずは、Skinnerの罰的統制の有効性をめぐる主張である。実際に適用するかどうかという倫理的な問題は別として、罰的統制(嫌子出現の随伴性による弱化)の有効性自体は1950年代から実験的に確認されている。また、そのような実験的検証は、Skinnerと同じハーバード大学の同じ建物、同じ階の実験室でも確認されている。にもかかわらず、1971年刊行の『Beyond Freedom and Dignity』でもなお、Skinnerはあいかわらず罰の有効性を否定している。 Skinnerのもう1つの「誤り」は、随伴性を、順序と接近(オペラント反応の直後に好子が出現するという意味)という微視的視点に限定したことであるという。このおうに限定してしまうと、滅多に餌が出ないようなVIスケジュールでもハトはなぜ安定的に反応するのか、週給の雇用でもなぜ労働するのかといった現象を説明することはできない。このことはさらに、思考や感情についての説明を困難にする。最大の誤りは、私的事象なしに公的行動を説明することはできないこと、私的事象が公的行動の原因になるであろうと是認した点にあるという。 ということで、最も重要な論点として私的事象の扱いが論じられることになる。 次回に続く。 |