じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 3月31日の定年退職まで残り30日ジャストとなった。このところ毎朝、1時間ほどかけて不要品の処分に取り組んでいるが、3月中旬に合計3回の講義・講演の予定があり、大半をその準備に費やしているため、なかなか片付かない。耐震改修工事にともなう2011年8月の引っ越しの際の経験から、とにかく、不要品処分を最優先し、未整理物品をまとめて段ボール箱に詰め込むようなことはできる限り避けようと思っている。

2018年3月2日(金)


【思ったこと】
180302(金)徹底的行動主義をめぐるBaumとMooreの論争(5)

 Baumによれば、Skinnerは、行動主義は思考や感情を無視しているという非難を避けるために、しばしば、「events within the skin(体内事象、皮膚の中で起こっていること)」という表現を使っていた。体内事象の中でも、血糖値や体温といった要因が行動に影響を与えていることについては疑いの余地はない。しかしSkinnerは、それらの枠を超えて、光が見えていることや、音を出さない発話(sub-vocal speech)、すなわち思考のようなものも私的事象に含めた。Skinnerの考えに導かれて、Mooreは公的事象と私的事象が語られる際の唯一の違いは聞き手の人数であると主張している。つまり、私的事象とは一人だけ(自分自身だけ)の聞き手に対して語られるのである。こうしたアイデアは、きわめて納得されやすい。じっさい我々はみな、誰も居ないところで自分自身に語ることを体験しているからである。

 Baumは、自分自身に対して私的事象を語るということ自体は否定していないようだ。問題があるとしているのは、私的事象が公的な行動(=顕現的で観察可能な行動)に影響を及ぼすという考え方である。例えばSkinnerは、私的な痛みと、声を出さない発話の両方が弁別刺激となって公的行動に影響を及ぼすとしている。SkinnerやMooreや何人かの哲学者たちは、私的な刺激によって公的行動がコントロールされているということは、「私は歯が痛い」といった言語報告によって示されている。しかしこれは内観であって、虚偽かどうかを実証することができない。

 Baumによれば、Watson以来の行動主義では、内観は信頼性に乏しいとされてきた。1人の人間においても、内観報告の内容は時により変化するし、同じ状況に置かれた場合でも2人の人間が異なる内観報告をすることさえある。じっさい、嘘をついて苦痛を感じている振りをする人の行動は、虚偽の内省報告を含むが、その嘘つきの私的事象によって行動がコントロールされているわけではない。これらはすべて、現在と過去の公的事象によって説明可能である。要するに、徹底的行動主義は、言語行動は他のオペラント行動と何ら区別されないと考えている。内省報告的な言語行動もまた同様であり、その原因は、(私的事象ではなく)外部環境に求められなければならないというのがBaumの巨視的行動主義の主張であるようだ。

 次回に続く。