じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 大学宛ての郵便物や配付資料を受け取るためのレターBoxも、定年退職に伴い閉鎖された。今後、長谷川宛ての郵便物があった場合は自宅住所に転送してくれるとのことだが、出版案内などの宣伝物は開封せずに廃棄していただくよう依頼してある。

2018年4月3日(火)


【思ったこと】
180403(火)時間を大切に使うとは?

 定年退職後のいちばんの有り難みは、会議や約束の時刻に拘束されなくなったことである。もともとせっかちな性分である私は、例えば11時から会議が予定されていると、前の日から予定表をチェックしたり、その日の午前中の仕事に没頭できないといった拘束感を感じてきた。退職後でももちろん、私的な約束事や色々な締め切りなどは残っているが、その件数は遙かに減っている。また、大学の公式アドレスあてのメールも殆ど届かなくなり、毎日チェックする必要もなくなった。

 もっとも、退職したからといって、一日中テレビを視たり、ゲームに興じたりということはない。その気になれば、サポート期限の切れたXPノートパソコンに、将棋、囲碁、マージャンなどをインストールして部屋に引きこもって一日中遊ぶこともできるのだが、まだそんな時間は1秒たりも使っていない。理由は、そういうヒマは無いということに尽きる。

 ではなぜ、「そういうヒマはない」と感じるのかと言えば、まずは、10年か、20年かは不定であるとは言え、健康寿命が限られていることは確実であり、その中で暗黙のうちにやるべきことを想定しており、単純な反復に過ぎないようなゲームは、貴重な残り時間を奪い、結果的に寿命を早めてしまうというように考えているからであろうと思う。

 何が無駄で何が大切かということは絶対的に決まるものではない。上掲のゲームも、脳トレの一環として有効であれば一定時間をとるかもしれない。あるいは、将棋や囲碁のゲームを通じて棋力がアップするなら累積的な価値を見出せるかもしれない。遊ぶこと自体は悪でも堕落でもない。好子出現の随伴性で強化されるような行動は、阻止の随伴性が働かない限りはすべて「遊び」と同格である。

 数年前より、表計算ソフトを使って歩数計の記録をきっちりつけているが【直近の結果はこちら】、歩数のほかに、その日にやったことなども各セルに記すように心がけている。セルに書き込む件数が多い日はそれなりに充実した日であると言えるし、書き込んだ中身を吟味することで、どういう行動をしたことが時間を大切に使ったことになるのかも少しずつ見えてくるようになると思う。

 若者であれば将来に役立つ準備・体験をすることはすべて時間を大切に使ったことになるだろうが、定年退職者であり隠居人を名乗る私には、将来への準備という概念は殆ど無い。これまで大切だと思っていたことはそれほど重要ではなくなるかもしれないし、若者とは違った過ごし方の中に最も大切なひとときが見つかるかもしれない。