じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 夕食後の散歩時に撮影したシャクナゲと三日月(月齢3.3)。錯覚原理により肉眼で比較する三日月は大きめに見えるが、実際は一輪のシャクナゲの雄しべと同じくらいの大きさ。

2018年4月19日(木)


【思ったこと】
180419(木)隠居生活から隠遁生活に入ることのデメリット

 定年退職後は海外ツアーに参加したり、孫たちと遊んだりしたため、結果的に対人交流の機会が多かった。しかし、それらが一段落して、退職時に研究室から搬出した荷物の整理作業に専念するようになると、他者との会話する機会が極端に減ってきた。
  • 在職時は、毎週何時間かは講義を担当したり、演習で学生と会話する機会があったがこれらはゼロになった(←特命教授として担当する授業がごく僅かあるが。)
  • 授業期間以外も、教授会や各種委員会で議論をする機会があったが、これらはすべてゼロとなった。
  • 自宅で食事をとることが多くなり、生協食堂などで知り合いと会話をする機会が激減した。
  • 心理学の学会をすべて退会したので、研究仲間と会話をする機会が激減した。
  • もともと人混みは嫌いなので、街中で他者と接する機会はない。
  • 地域活動も嫌いなので、町内会行事などで他者と接する機会は全くない。
 ということで、会話の相手は妻一人になってしまったが、新婚時代ならともかく、結婚生活35年にもなると、会話が弾むというような話題があるわけでもない。

 もともと人付き合いを好まない私なので、こうした変化は、願ったり叶ったりという面もあるが、気がかりな点もいくつかある。

 まず、日本語で喋ることができなくなってしまうのではないかという不安。言葉を発するだけならWeb日記やブログ執筆などで以前よりも機会が増えていると言えるが、音声で言葉を発する機会は殆ど無くなってしまっている。しかも最近は物忘れがひどくなって、固有名詞や適切な表現がすぐに出てこなくなってきた。外国人と英語で会話をしている時に適切な英単語が浮かばずに発話が途絶えてしまうことは以前よりあったが、この先、日本語の会話の中でも適切な日本語がなかなか浮かばずに発話が中断してしまうということはあるかもしれない。

 もう1つ、これまでは、授業、会議、食堂などで大勢の人たちと日常的に接する機会があったため結果的に常にウィルスや病原菌に晒されることで一定の免疫力を保持することができていたが、退職後は、すでに免疫を確立した固定空間のみで生活するようになり、新たな病原菌への抵抗力が低下する恐れが出てきた。そうなると、稀に旅行に出かけた時など、移動中に感染しやすくなる可能性がある。これを避ける一番の方法は、毎日の散歩時に、総合病院の待合室に立ち寄ることではないかと思うが、不審者扱いされるという別のリスクがある。