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ネガフィルムのデジタル化作業をしていたところ、中学1〜2年の頃に中国地方を旅行した時の写真が見つかった。当時は新幹線は東京〜新大阪区間のみ。
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【小さな話題】 50年前、中学生時代のネガフィルムのデジタル化作業完了 定年退職後に少しずつ進めていたネガフィルムのデジタル化(フィルム写真のネガを専用ケースに入れてスキャナで読み込みJPEG画像化する作業)のうち、モノクロ・ハーフサイズで撮影した1965年〜1967年度の期間の撮影分の作業を完了させることができた。 この時期の撮影枚数をフォルダのプロパティ機能で大ざっぱにカウントすると、
保存されているネガから推測するに、私自身が親から貰ったカメラで写真を撮り始めるようになったのは、どうやら中学に入った頃からであったようである。当時は、ハーフサイズで撮影していたため、36枚撮りフィルムで72枚前後撮影することができた。カメラの機種は全く思い出せない。中学3年の終わり頃になると、このカメラのフィルム送り機能が壊れ、フィルムがうまく送れないことによって二重撮影になるなどの失敗が目立つようになった。その後、新しいカメラを買うお金が無かったことと、一時期「旅行先で写真ばかり撮っていると肉眼で景色を堪能する機会を失うので、カメラは携行すべきでない」といった思想?に囚われていたことにより、高校から大学学部時代までの期間の写真は殆ど撮っていない。再び写真を撮り始めたのは、大学院入学後、質屋で一眼レフ(ペトリカメラ)を購入した後であったと記憶しているが、その頃のネガは現時点では行方不明となっている。さらにその後、結婚した頃からデジカメに移行するまでの期間は、日付の入る小型カメラを使用しており、保管もしっかりできている。今後、デジタル化作業に取り組む予定である。 中学時代は、1年から2年になる時にクラス替えがあったことと、3年の時に卒業記念アルバム委員になったことから、学校生活を記録するための写真もたくさん撮っていた。興味深いのは写っている同窓生のお顔を見ただけで、ほぼ100%、お名前(苗字)を思い出せることである。私はもともと失顔症の傾向があり、退職前の数年間は、卒論生たちの名前を殆ど記憶できなかったほか、新任の教職員のお名前も殆ど覚えられないほどであったが、中学時代はわずか3年間しか在籍していないにもかかわらず、記憶がしっかり残っているというのはスゴイことだと思う。 デジタル化作業の副産物として、退職後は、昔の出来事に関連した夢をみる頻度が多くなってきた。もっとも、どういう夢を見るのかは全く予測できない。その日にデジタル化した場面が夢に直結するわけではない。夢の中に浮かんでくる事象のつながりというのは、時間的近接に基づくシンプルな条件づけではなく、まさしく関係フレーム理論でいうところの派生的関係反応に依拠しているということを強く実感するこの頃である。 |