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台風7号は、7月4日午前03時現在、萩市の北北西約140kmの日本海を北東に進んでいる。岡山では日が変わった7月4日0時台から雨が激しくなり、07時現在の24時間積算降水量は27.5ミリとなっている。 台風通過後は台風一過の晴天にはならず、しばらく梅雨空が続くと予想されている。 |
【連載】 大モンゴル(9)巨大国家の遺産(2)ロシア帝国の拡大/チムール 昨日の続き。 第五集では、クリミア・タタールに続いて、モンゴルの庇護を受けたモスクワが台頭し強大なロシア帝国を築くという興味深い話題が取り上げられていた。 番組によると、クリミヤ・ハーン国の騎馬軍団が1571年5月、モスクワに侵入し全市を焼き払った。時のロシア皇帝イワン4世は、クリミアの脅威に対抗するためにモンゴルの力を利用することを考えたという。イワン4世が皇帝に即位した時、ロシアの宮廷にいた貴族の1/3はモンゴルの血を受け継いでいたという。イワン4世はさらに、突然退位し、チンギス・ハーン直系の子孫にあたるシメオン・ベクブラトヴィチに皇帝を譲った。その後、イワン4世は、シメオンから皇帝を譲られる形で再び皇帝の座についた。なお別の回でも取り上げられていたが、ロシア正教の歴史においてもモンゴルの影響は計り知れない。 こうしてモスクワを中心としたロシア帝国は18世紀には絶頂期を迎え、モンゴルのシベリアからオホーツク、南のクリミアへと支配地域を拡大した。このときからクリミア・タタールの悲劇が始まった。 時代は前後するが、番組では続いて、チムール帝国の話題が取り上げられていた。チムールは自らの姿をチンギス・ハーンに重ねていたがチンギス・ハーンの血を受け継いでいなかったためハーンを名乗ることができなかった。サライ・ムルク・ハーヌムを第一夫人としモンゴル帝国の婿となることで家系を受け継いだが、遠征中に病死した。 番組の終わりのところでは、ソ連成立後のモンゴルや、再びクリミア問題が取り上げられていたが、初回放送時の1992年8月2日からすでに四半世紀が過ぎ、世界情勢はさらに渾沌としている。かつての番組をDVDにダビングしていたおかげで、多少なりとも巨視的な視点から歴史をとらえることができた。 |