じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 1月14日のテレビ番組欄に「毀誉褒貶著しかった」という言葉が記されていたが、恥ずかしながら、人生66年の現在に至るまで「毀誉褒貶」という言葉は一度も目にしたことがなく、どう発音するのかさえ分からなかった。たいがいの4文字熟語は、受験勉強時代に丸暗記していたはずだが、なぜか暗記リストには入っていなかった。センター試験の予想問題になるかも。

2019年1月15日(火)



【連載】

関係反応と関係フレームをどう説明するか(18)「関係フレーム」とは何か?(6) いろいろな関係フレーム(1)

 昨日の続き。

 RFTのパープルブックの第2章には、「2.3. RELATIONAL FRAMES」、「2.4. FAMILIES OF RELATIONAL FRAMES」、さらに「2.5. COMPLEX RELATIONAL NETWORKS」という節がある。私が見る限りでは、このあたりの説明は、日本語に翻訳された本のなかではあまり触れられていないように思われるので、これを機会に少し詳しく引用・考察してみようと思う。これにより、昨日述べた「しっくりこない点」もある程度解消するであろう。

 まず、RFTのパープルブックに基づいて、関係フレームについての再度の復習。1月3日に要約したように、
  • 「関係フレーム」は特殊な反応クラスであること。
  • その反応クラスは、相互的内包、複合的相互的内包(複合的内容)、刺激機能の変換という3つの特徴を有すること。
  • 「関係フレーム」とは結果として生じた現象であり、また現象のプロセスを記述した概念であること。
  • 「相互的内包、複合的相互的内包(複合的内容)、刺激機能の変換」は関係フーレムを説明する概念ではない。あくまで、関係フレームを特徴づけるものであること。
  • 名詞形の「フレーム」は便宜的な表現であり、その実態は反応であること。
  • 「フレーム」はメタファーであること。非恣意的な関係反応と異なり、空っぽであること。
といった点を確認しておく必要がある。

 続く34頁には、
Relational frames are a unit of responding and a specific class of functional behavior, but it is wrong to think of this in mechanical and physicalistic terms. Relational frames are not mediated by more basic processes: instrumental learning is the process.

というように、再度、留意点が記されている。要するに、「関係フレーム」は何かの構造や脳内の装置のようなものではないし、何かの基盤となるプロセスの上に構築されたものでもない。

 34頁の次の段落にも記されているように、そもそも、オペラントの単位というのは、分析の実用的なニーズに応じて、巨視的にも微視的にも切り分けることができる。関係フレームについては、
For the purposes of our analysis, a relational frame is a “unit” for two primary reasons: it seems to be the simplest unit that can describe the different types of arbitrarily applicable relational responses, and it seems to be the simplest unit that can describe the key elements of speaking with meaning and listening with understanding.
という立場から、分析の単位になりうると論じられている。但し、その直後に「We do not believe that relational frames are “primitives” or “elemental units”however.」と記されているように、最小の要素的単位であると想定しているわけではない。また、次の段落の「歩く」の事例に示されているように、恣意的に適用可能な関係反応が学習されたからといって、最初から「相互的内包、複合的相互的内包(複合的内容)、刺激機能の変換」といった特徴がすべて示されるわけではない。

 あと、パープルブックの記述では少し前に戻るが、「反射性(反射律、Reflexivity)」については、
A more generic term for reflexivity is unnecessary in Relational Frame Theory. There are difficulties with using the term in relations other than equivalence, since its defining properties do not distinguish between those due to derived stimulus relations and those due to formal similarity.
として、RFTでは不必要な概念であるとされていた【33頁】。

 この話題はもともと、

Steele, D. L., and Hayes, S. C. (1991). Stimulus equivalence and arbitrarily applicable relational responding, Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 56, 519-555.

で議論されているということだが、勉強不足でまだ読めていない。もっとも素朴に考えると、反射性は、モノが安定して存在し続けること(同一のモノであると見なすこと)や、自分自身が同一性(自己同一性)を保持し続ける(と思い込むこと)などに関して不可欠な言語的反応ではないかという気もする。
 もっとも、数学概念と異なり、何を自分自身と見なすのか自体も言語反応しだいということになる。例えば、昨日の自分をA、今日の自分をBとすれば、昨日と今日の自分は同一であると見なすのは、反射性ではなくて対称性になる。

 不定期ながら次回に続く。