じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月下旬、散歩道沿いの古い家の周りに足場が組まれているのに気づいた。リフォーム工事でも始まるのかと思っていたところ、10日ほど経って同じ場所を通過したところ、なっなんと完全に取り壊されて更地になっていた。
 この家のすぐ近くには、ずっと以前から耕作を取りやめている水田跡があり、その一角にミニ菜園が作られていた。今回取り壊された家の住人の方が世話をしておられたが、この先、このミニ菜園がどうなるのか気になるところである。

2019年3月2日(土)



【小さな話題】
コアラの抱っこと飼育動物の「幸福」

 楽天版で取り上げたように、今回のオーストラリア旅行の途中、コアラを抱っこして記念写真を撮るというイベントがあった。このイベントは、ツアーの日程に組み込まれており、参加者は順番にならんでコアラを抱っこしてフラッシュ使用のプリント写真1枚と、手持ちのデジカメ、スマホ等でもう1枚の写真を撮るという内容であった。

 私自身ももちろんコアラが大好きではあるが、このイベントはあまり気が進まなかった。楽天版にも書いたように、何十人もの観光客が抱いたり、そのたびにフラッシュを浴びせるというのは、コアラを虐待しているのではないかとふと思ったからである。

 もっとも、これが本当に虐待にあたるのかは何とも言えない。あくまでそれぞれの動物の側に立って、充分に生態を観察した上で判断されなければなるまい。

 例えば、猫を抱っこして写真を撮る場合を考えてみる。猫は自己主張が強いので、抱っこされるのが不快であれば無理やり抱っこしようとすれば引っ掻かれるし、居心地がよければ喉をゴロゴロならすので、容易に判断できる。犬の場合も、シッポを振って甘えている場面は虐待には当たらないだろう。

 人間との濃厚な接触が「幸福」であるように改良されているペットは上記の通りであるが、野生動物を飼育する場合は判断が難しい。

 例えば、オウムやインコを狭い籠の中で飼うというのはいっけん虐待であるように見える。しかし、外の世界に解き放てば、常に猛禽類に襲われるという危険にさらされる。

 水族館の魚も同様であり、回遊魚はともかくとして、縄張りを作って生息するような種類の魚であれば、それを超えるような巨大な水槽は必要ない。天敵の多い外洋よりは、安全に暮らせる狭い水槽のほうが「幸福」に暮らせるはずである。

 一般に、草食動物の場合は、人生の大半が摂食と消化に費やされる。穀物や肉類に比べると草や葉っぱは利用できるカロリー分や栄養分が少ないため、そうせざるをえないのである。繋がれた牛は可哀想であるように見えるが、牛にとっては、乾燥した大地を自由に走り回れる環境よりも、草がいっぱい生えている牧場で、数mのロープに繋がれたままのほうがはるかに「幸福」になれるはずである。

 話は逸れるが、2018年9月に新江ノ島水族館で行われたセーリングW杯開会式でイルカショーが行われたことについて、一部の参加者から批判の声が上がったというニュースがあった。イルカショーを批判する人は、「大洋で自由に泳ぐことがイルカの幸福であり、狭い水槽で飼ったり、芸を仕込むことは虐待にあたる」という前提に立っているようであるが、新しい芸を覚えて達成することはイルカにとって「生きがい」になりうるという考えも無いわけではあるまい。なお、イルカショーや、動物園での行動展示に関しては2018年10月11日の日記でも考えを述べたことがある【開会式主催者側が、イルカショーについての多様な価値観に配慮しなかったという点ではやはり問題があった。】

 もう1つ、動物実験は虐待になるのかという重大問題がある。確かに摂食制限をかけたり不快な刺激を呈示することは虐待と言われてもしようがない。私自身も長年にわたり動物実験委員会の委員を仰せつかってきたことがあるが、研究目的の重要性に鑑み、それ以外の方法では検証できないという場合に限って必要最低限の処置をとるというのが基本になろうかと思う。

 もっとも、オペラント条件づけの実験で、ある種の行動が強化子(好子)によって強化されているような場面は、動物たちを「幸福」にできる可能性があるようにも思う。摂食制限は虐待だと言われるかもしれないが、野生の状態では殆どの動物はもっと腹を空かしており、やっとのことで餌を獲得している。その獲得手段を、レバー押しやキーツつつき、さらに様々な弁別刺激といった実験手続に置き換えることは機能的に類似しており、実験条件によっては、野生の状態以上に動物を喜ばせることができるかもしれない。

 動物園でも、霊長類の飼育舎などで、餌を獲得するための複雑な仕掛けを設置しているところがあると聞く。いずれにせよ、動物の「幸福」というのは、必ずしも無条件に野生に放り出すことではないし、広い敷地で無制限に餌を与えて飼育することでもない。