じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 日没の方位が北に移動するにつれて、円筒形の旧・京山タワーのガラス面が夕日を反射して輝く現象が顕著に見られるようになった。かつての光る輪ほどのインパクトはないが、なかなか見事な輝き。


2019年4月12日(金)




【小さな話題】天璋院篤姫の虚構と事実

 4月11日放送のNHK「偉人たちの健康診断」で

篤姫 ヒートショックの恐怖

という話題を取り上げていた。

 私にとって篤姫と言えば2008年のNHK大河ドラマ『篤姫』の主人公を演じた宮崎あおいさんのイメージがあまりにも強く、また、創作であると知っていても、あたかも史実そのものが描かれているかのように思い込んでいる部分が多い。

 今回の番組では、
  • 大奥に入る前の篤姫は薩摩随一の健康体であった。その理由は?
  • にもかかわらず、なぜ47歳の若さで亡くなったのか?
という2つの疑問についていくつかのもっともらしい仮説が提示されていた。

 まず、そもそも篤姫がどんな体格であったのかということだが、番組によれば、身長は157〜159cmで当時としては大柄、体重はなんと70kgもあったという。『篤姫』の大河ドラマで言えば、宮アあおいさんよりも、幾島を演じた松坂慶子さんに近いイメージであったかもしれない。

 薩摩藩時代の篤姫に健康をもたらしたのは
  1. 今和泉島津家の屋敷は指宿の海岸にあり、砂浜で遊び回っていた。
  2. 薩摩藩には新鮮な海産物があり、DHAを豊富に摂取できた。
  3. 砂蒸し風呂に入ることに血流促進効果があった。また、温泉の蒸気を利用したスメ料理には健康に害を及ぼさない程度の微量の硫化水素が含まれているが、これには親電子物質を分解するという健康増進効果がある。じっさい、指宿市の虚血性心疾患死亡率は10万人あたり9.9人で、全国平均の28.0人より少ないという。
などが挙げられていた。

 もっとも、上記の3.はこの番組特有のコジツケであり、よほど頻繁に砂蒸し風呂に入ったり蒸し料理を食べたりしない限りは、篤姫個人を飛び抜けた健康体にするほどの効果はなかったのではないかと思われる。

 なお「この番組特有のコジツケ」というのは、この番組には歴史番組というより健康増進番組という性格があり、偉人にかこつけて、民間療法や少々胡散臭い健康法などを紹介するコーナーがあることを意味している。以前にも武田家臣の強さは、日本一日照時間が長く紫外線を浴びたためとか、勝海舟のように雑談をしながら書をしたためる(同時並行作業)のは老化防止によいなどといった話が取り上げられたことがあった。

 ちなみに今回は、サウナ一般についての誤解として、
  • 「汗を出すことでデトックス効果がある」というのはウソ。実際は皮脂汚れが落ちるだけ(ジョー・シュワルツの研究によれば、1日に摂取した有毒物質が発汗で排出されるのは0.02%)。
  • 「我慢して入るほど痩せる」というのはウソ。脱水症状になるだけ。
  • 「二日酔いがすぐ治る」というのはウソ。二日酔いから回復するためには体内のアルコールを分解するために水分補給が必要だが、サウナは脱水症状をもたらすため逆にさめにくくなってしまう。
という3点が挙げられた。

 元の話題に戻るが、明治維新以後の篤姫は、第十六代当主の徳川家達の英才教育に尽力した。しかし、家達がイギリスに留学した後は夜な夜なお酒を飲み朝風呂に入るといった不健康な生活に陥る。勝海舟の『海舟座談』には、「【天璋院は】夕方から出て夜中の二時三時に帰られることが度々あった」とか、「天璋院のお供で八百善にも二三度、向島の柳屋へも吉原にも芸者屋にも行った」といった記載があるという。

 天璋院が酒浸りになったのは、子育てを終えた更年期女性に起こりがちな「空の巣症候群」ではないか、と番組では指摘されていた。

 もっとも、これは全く私個人の根拠に乏しい推測であるが、幕末の動乱期に活躍した知人が先に亡くなり、自分だけが取り残されていったことも酒浸りの一因ではないかという気もする。じっさい、天璋院が亡くなったのは1883年であったが、大河ドラマに登場する主要人物の没年を調べてみると、
  • 小松帯刀 1870年没(左下腹部腫瘍)
  • 西郷隆盛 1877年没(西南戦争)
  • 大久保利通 1878年没(紀尾井坂で暗殺)
  • 徳川家定 1858年没(脚気衝心)
  • 徳川家茂 1866年没(死因については諸説あり)
  • 和宮 1877年没(脚気)
  • 幾島 1870年没
  • 滝山 1876年没
 このWeb日記でも何度か書いたことがあるが、明治維新前後に活躍した人で維新後も長生きできた方は、勝海舟(1899年没)、徳川慶喜(1913年没)、新撰組の永倉新八(1915年没)と斉藤一(1915年没)くらいしか浮かばない。

 天璋院篤姫の直接の死因については、当時の新聞記事に「湯殿で躓いて、布団に座られるや否や昏倒」と記されており、入浴時の寒暖差による脳内出血によるものであることがほぼ確実のようだ。ちなみに、入浴中の事故死亡は交通事故死の4倍という高さであり、12月から3月までの冬期に特に多いというから注意が必要。もっとも、そうした直接の死因よりも、なぜ酒浸りになってしまったのかということのほうが私にとっては興味深い。

 いずれにせよ、偉人をドラマ化するとなれば、どうしても終わりよければ全て良しという形で感動を与える演出が不可欠。酒浸りがたたってヒートショックで脳内出血を起こし早死にされたという晩年の部分は、酒浸りの原因を明確にしない限りはドラマとしては描きにくい。