Copyright(C)長谷川芳典 |
5月13日朝の「モーサテQ(モーサテクイズ)」で、1世帯あたりの自転車保有台数が最も多い都道府県はどこか?という問題が出た。正解は滋賀県で1.595台、2位は大阪府で1.508台、3位は埼玉県で1.503台、4位は山形県で1.487台であった。 ネットで検索したところ、自転車産業振興協会のWebサイトの中の平成30年度自転車保有実態に関する調査報告書 【概要・抜粋】の「地域別自転車保有台数の推計」のところに同じデータが掲載されていた。 リンク先の表が示すように、保有台数が最も少ないのは長崎県で0.556台、2位は沖縄県で0.695台、3位は鹿児島県で0.748台となっていた。長崎が最も少ないのは、長崎市内は坂道や階段が多く、通勤・通学の手段として自転車が使えないためであろう。長崎に5年間住んだことがあるが、自転車を見かけることは殆ど無かった。当然、放置自転車や迷惑駐輪の問題を耳にしたこともなかった。 沖縄や鹿児島が少ない理由はよく分からないが、1世帯あたりの人数、あるいは2世帯同居型家族の比率などが数値に影響を与えている可能性があると思われる。 なお、岡山県の1世帯あたりの保有台数は1.362台で、全国の平均値より若干多い程度であるようだ。もっとも、大学生1人あたりの保有台数で統計をとれば、岡大生の保有比率は全国トップレベルであると言われている。理由は、岡山市内が平坦であることと、岡大の敷地が広くて、徒歩だけでは休み時間内に講義棟間を移動することが困難であるため。 |
【小さな話題】 東京オリンピック観戦チケットに興味を持てない理由 2020年東京オリンピックの観戦チケット抽選予約受付が始まり、公式サイトによれば、5月9日(木)の抽選申込受付開始以降、12日(日)17時までに636万以上のアクセスがあり、システムに一部混乱が生じたという。しかし、私個人は、観戦には興味が持てず、ID登録や抽選申込には一切参加していない。 念のためおことわりしておくが、私は別段、東京オリンピックに反対しているわけではない。日本で開催することにはそれなりの経済効果があるし、多くの外国人におもてなしをすることで日本について理解を深めていただくことができる。さらに、オリンピック開催を機会に都内の景観を整備できるし(←間に合うのか?)、これを機会に、公共空間や飲食店の全面禁煙化を推進することもできる。 さらに、東京オリンピック開催までは長生きしたいと、観戦を楽しみにしている高齢者もおられる。そういう人々の価値観を批判するつもりも毛頭ない。 しかし、わざわざ競技場まで足を運んで観戦することにそれほどの意義があるのかという点になると私個人は否定的である。その主たる理由は、
1.については、スポーツ競技の中で私が興味を持てるのは、大相撲と陸上競技(短距離競走、マラソン、駅伝)程度であって、以前熱中していたプロ野球などは全く興味を失ってしまった。もちろん、日本国民の1人として、日本代表選手がメダルを獲得することは喜びではあるが、わざわざ時間を割いて応援に出かけるほどに熱心にはなれない。 スポーツ選手の中には、自分がメダルをとるのはあくまでチームのため、ファンのため、国のためであることを強調する方もおられるし、本気でそう思って日々鍛錬している方もおられるとは思うが、私から言わせてもらえば、スポーツ選手が努力を重ねて栄誉を勝ち取ろうとするのはあくまでその人自身のためであって、個人本位という点では、日々、受験勉強に取り組んで難関校合格を勝ち取ることと本質的には同じ。これは、高齢者がエベレスト登山に挑戦するとか、プロの冒険者がアドベンチャーレースに参加する場合も同様であり、個人本位が本質である。彼らの行動が第三者(観戦者、観察者、関心をいだく人たちなど)にどういうインパクトを与えるのかというのは、それとは独立した別の問題であって、行為者の努力自体の価値を左右するものではない。 2.については、昨今の4K、8Kなどの高精細の画像が提供されるようになり、競技場の上段席から双眼鏡で観戦することと、テレビ中継で選手の表情までがアップで映し出されるのとどちらがリアルなのか、ますます比較が難しくなってきたように思う。 これは、スポーツ観戦以外、例えば宇宙旅行についても言えることである。宇宙船に搭乗すれば、ガラス窓を通じて宇宙空間を眺めることはできるが、生身の体で宇宙遊泳ができるわけではない。となると、高精細のカメラで捉えられた映像を眺めても、ガラス窓越しに風景を眺めても、リアルさは変わらない。むしろ前者のほうがよっぽど迫力があるかもしれない。 私個人の関心事について言えば、海外旅行がこれにあてはまる。ある程度の回数、旅行を体験すると、実際にその場所に行かなくても、だいたいの雰囲気はつかみとることができる。となると、わざわざお金をかけて、リスク承知でその場所に行く必要は無くなってくる。だからといって、この先は一切旅行しなくてもよい、というほどの悟り、達観には至っていないが、旅行先の候補がかなり絞られてきたことは確かである。 |