じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 12月25日の朝はよく晴れて、月齢28.3の月と日の出の瞬間がよく見えた。12月26日の日食が近いためほぼ同じ方位に見えている。
 なおこの日の岡山の日の出時刻だが、国立天文台では7時9分のはずなのに、Yahoo!やGoogleの「岡山 日の出」の検索結果では上部に7時11分という時刻が表示されていた。わずか2分差とはいえ、日の出の瞬間の写真を撮る人にとっては大きな誤差である。なお12月26日の日の出時刻は国立天文台と同じ7時9分になっていた。12月25日になぜ誤差が生じたのかは不明。

2019年12月25日(水)



【連載】又吉直樹のヘウレーカ! 「オススメ!京都の新名所は鴨川の“橋”!?」

 12月18日に放送された京都の橋についての話題。

 番組では、土木工学の専門家が、鴨川の大橋について、それぞれの橋の特徴や、専門的見地からの熱い思いを語っておられた。

 ちなみに、京都大学は設立された当初は土木工学と機械工学だけの2学科だけで、哲学や医学は後から設置されたという。念のためウィキペディアでチェックしたところ、確かに
創設時の計画では1898年にまず法科大学から設置する予定であったが、工科志望者の急増により1年前倒しという形で、創設と同年の1897年に京都帝国大学理工科大学が設置された。続いて1899年京都帝国大学法科大学および京都帝国大学医科大学、1906年京都帝国大学文科大学を設置し、約10年をかけて分科大学を設置した。
と記されていた。もっとも、法科大学や医科大学はその翌年に設置されていることからみて、土木工学が京大の礎を作ったというほど大げさなものではなさそうだ。

 番組では、鴨川の三条大橋、四条大橋、五条大橋、七条大橋を歩いてめぐり、それぞれの特徴が解説された。
  • 三条大橋【鉄単純桁橋 1950年改装】
    いちばん下流側は大正初期の石の柱(昔の橋を支えていた石を再利用)
  • 四条大橋【鉄筋コンクリート製アーチ橋 1913年完成→鋼連続桁橋 1942年完成】
     昭和10年の洪水・氾濫時に流出物をせき止めてしまったため架け替え。アーチの一部を残す。当時の鉄不足に配慮して力がかからない所の鉄を節約。
  • 五条大橋【鋼連続桁橋 1959年完成】
    国道1号(←正式名称は「国道1号線」ではない)にかかる橋。耐震対策万全(阪神淡路大震災のあとで補強)。

  • 七条大橋【鉄筋コンクリートアーチ橋 1913年完成】
    2019年3月、国の有形文化財に登録。

 このほか、「用強美」:
  • 用:人間が使えて役に立つ
  • 強;水害や地震に対して十分な強さを持つ
  • 美:形が人間にとって美しい
の精神も語られた。五条大橋では、防災のために美観を損ねるようにも見える頑強な耐震策がとられたが、防災至上主義的な押しつけは「防災の暴力」になってしまうこと、防災においても魅力や美しさがアップするような対策が必要であることが語られた。
 また、最近の「制震」として、高層建築物の最上部に重りのようなものを取り付けて地震のエネルギーを吸収する技術も紹介された。

 私自身はかつて京都に15年ほど住んでいたが、もっぱら、今出川以北で生活していたため、今回の番組で紹介された三条大橋以南を渡ることは滅多になかった。今出川以北で思い出のある橋(加茂川を含む)としては、
  • 出雲路橋
    この橋を渡って加茂川の土手沿いを通学していた。もっとも1983年に架け替えられているようだ。
  • 荒神橋
    荒神橋事件としても知られているが、私の世代では二十歳の原点ゆかりの橋という印象が強い。
  • 加茂大橋(賀茂大橋)
    こちらの記述にもあるが、「加茂大橋」と「賀茂大橋」という表記上の不統一がある。橋の欄干には「賀茂大橋」と書かれてあるが、バス停は「加茂大橋」。賀茂川(加茂川)と高野川が合流して鴨川になっているはずなのに「鴨大橋」とは書かれないなど、謎の多い橋。
と3つほど挙げてみたが、当然のことながら上を渡るのみで、土木工学的な見地は全く含まれていない。