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生協食堂入口に、恒例の七夕りが設置された。短冊に書かれた願い事は、もっぱら個人の願望にかかわることであり、ざっと見渡したところ、「新型コロナ終息」とか「世界平和」といった書き込みは見当たらなかった。もっとも「県外の友人と早く会えますように」というのは新型コロナ特有の願い事と言える。 |
【小さな話題】藤井七段の強さは相対比較にあらず このところ、ABEMAなどを通じて、将棋の対局中継を視聴することが多くなった。たいがいは藤井聡太七段登場の番組で、直近では、
本題に入るが、藤井七段の強さは、一般向けには「史上最年少」とか「連勝記録」といった相対比較で報じられる。「史上最年少」という表現は、「将棋は棋士の努力の積み重ねにより、20歳代、30歳代となるにつれて棋力が向上するのが一般的。にもかかわらず、高校生のうちからタイトル戦に登場するというのはスゴい」、つまり「他の棋士に比べてスゴい」という表現である。連勝記録も同様であり、「普通の棋士は勝率5割前後なのに、ずっと勝ち続けるのはスゴい」という意味であり、どちらも相対評価となっている。 こうした相対評価は、将棋を知らない人にもインパクトのある表現であるが、強さの中身についての情報は全く含まれていない。大相撲に当てはめれば、「史上最年少での優勝」とか、「幕内○○連勝」というのも同様。相撲がどんなスポーツか全く知らなくても、スゴく強いというアピール効果はある。 とはいえ、相対比較は、中身を持たない空虚な評価とも言える。「強さ」を本当に称えるのであれば、強さの中身についての質的評価を充実させる必要がある。例えば、(少なくとも全盛時代の)白鵬がなぜ強いのかについては、単に体が大きいからとか、力が強いからというだけでは不十分である。「相手力士の特徴に合わせた攻略」、「自分の態勢が不利になってもとっさに立て直せるという対応力」といったところに本当の強さがあるように見える。 では、藤井七段はどこが強いのか?ということになるが、素人の私にはその本質を見抜くことは到底できない。もちろん1つには、終盤の、何十手詰めにも及ぶような正確な差し回しの力に驚嘆することが多いが、中盤でけっこう長考していて持ち時間を大幅に減らしているところを見ると、どうやらこの段階で相当先に至る展開を何通りにも読み尽くしているように思えてならない。そうしたバリエーションは、中継時に登場する解説者諸氏では追いついていけないところがある。なので、その場ではなぜその手が最善手なのかは解説困難という場合もあるが、数手ほど進むと、それまで50:50だった評価値が突然60:40、70:30、というように藤井七段優勢に転じることがある。また、そうした評価値は、藤井七段自身の指し手で変わるのではなく、対局相手が最善手を指せなかったことによって変化する場合も少なくないように思われる。 さて、今後についての私の勝手な予想だが、
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