Copyright(C)長谷川芳典 |
ウォーキング中、半田山植物園で黒いアゲハチョウを見かけた。クロアゲハの雌かと思ったが、図鑑を参照したところ、オナガアゲハの可能性が高いことが分かった。半田山植物園では、今年に入ってからジャコウアゲハ、モンキアゲハ、アオスジアゲハ、ナミアゲハを目撃しており、これで5種目となった。 |
【小さな話題】藤井聡太七段の「5四金」と「3一銀」から最善手の意味を考える 28日に行われた将棋の棋聖戦第2局で挑戦者・藤井聡太七段(17)が渡辺明棋聖(36)=棋王、王将=に90手で勝利し、2連勝。史上最年少でのタイトル獲得にあと1勝となった。 この第2局は、私もABEMAの中継で、途中の場面と、投了間近から後の部分を視聴したが、コンピュータの評価値は一貫して藤井聡太七段の優勢を伝えており、渡辺棋聖(三冠)は藤井七段の玉に、王手を一度もかけることができず敗れた。 この対局について、渡辺棋聖は御自身のブログの中で、「いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢、という将棋でした。」と振り返っておられた。野村克也監督の名言(もともとは松浦静山の言葉らしい)に「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」という言葉があるが、過密日程で敗因の分析が間に合わないまま第3局にのぞむと、このままストレート負けで失冠してしまう可能性が高い。 対局後の各種報道によれば、この対局ではどうやら、藤井七段の42手目の△5四金と、58手目の△3一銀がカギとなっているようだ。 このうち、△5四金は師匠の杉本昌隆八段から「金を守りに使うのがセオリーですけど、逆。将棋の常識を覆す歴史を変える一手です」と高く評価されているほか、矢倉の新構想として注目されているらしい。 これに対して、もう1つの△3一銀のほうはなぜこれが最善手だったのか、分析が難しい。渡辺棋聖御自身は「△31銀は全く浮かんでいませんでしたが、受け一方の手なので、他の手が上手くいかないから選んだ手なんだろうというのが第一感でした。"と振り返っておられるし、ABEMA中継の時も守りの手というようにしか解説されていなかったように記憶している。 しかし、こちらの方のツイート(6月28日)によると、 本日の棋聖戦の藤井七段の58手目3一銀は,将棋ソフト(水匠2)に4億手読ませた段階では5番手にも挙がりませんが,6億手読ませると,突如最善手として現れる手だったようです。ということで、6億手まで読んで初めて評価される最善手であったようだ。 もちろん、飯島七段の解説にあるように、 △3一銀は、攻め駒の銀を守りに使った。この銀は△5四金をきっかけに奪ったもの。渡辺棋聖が直前に指した▲6六角は△2二金を狙うためだったが、この銀で取ることができなくなり、突破口を失った。という有効な手であったが、失礼ながら、これは「Aという手にはこういう機能があり、Bという手にはこういう機能があり、Cという手にはこういう機能がある」という色々な可能性のうちの「Aという手にはこういう機能がある」という部分を取り出して後付けで評価しているようなものであって、Aがなぜ最善手であるのかという理由までは説明されていないように思う。といって、6億手の広がりをすべて並べた上で「△3一銀が最善でした」と解説することは物理的に困難と言える[※]。 [※追記]将棋LIVEの棋譜コメントで、窪田義行・七段が△3一銀を読み筋に挙げていたという情報があった。 ところで上に述べた「最善手」についてはイマイチわからないところがある。例えば、
上記2.は要するに、「手を難しくする」「変化の多い展開に持ち込む」というようなもので、その手自体は勝ちに繋がる最善手とは言えないが、複雑な展開をすることで持ち時間の少ない相手を混乱させたりミスを誘ったりするというもの。 ま、観る将棋を楽しむという側から言えば、誰も気づかないようなスゴい一手で形勢が大逆転するとか、突然、長手数の詰将棋の展開に入ったというような意外性こそが魅力ということもある。数学の証明問題などでも、例えば、四色定理のような、コンピュータで場合分けを尽くすようなタイプの証明ではちっとも感動が出てこない。「4億手読ませた段階では5番手にも挙がりませんが,6億手読ませると,突如最善手として現れる手」ばかりになると、観ている側も、あるいは対局者自身も「何が何だか分からないうちに勝負が決まってしまった、という狐につままれたような展開になってしまう。 なお、藤井聡太七段は詰将棋の天才としても知られるが、相手の投了が確実となった段階では、意外と「候補手の中でも一番かっこ悪い手をさす」らしい。今回のABEMA中継の解説で、確か、藤井猛・九段がそういう解説をしておられた。また、攻め一筋ではなく、時たま、年配棋士風の守りを固める手もさすという。藤井聡太七段登場の次回の棋戦でもそのあたりを拝見したいと思っている。 |