じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡大構内で変な鳴き方をしているアブラゼミを見つけた。さっそくYouTubeに投稿したが、なぜこういう鳴き方しかできないのか原因は不明。発声器官に障害があるという可能性のほか、羽化直後でまだ声がでないのか、逆に、鳴きすぎてくたびれ果てて声が出なくなったのか、いろいろ考えられそう。

 なお、これまで投稿した動画(一部スライドショー)の一覧はこちらにまとめてあるが、このうち、「エジプト皆既日食」と「ウマノスズクサをむさぼり食うジャコウアゲハの幼虫」「オナガアゲハのカップルが金柑の木の周りを飛び回る」の動画にWindows10ビデオエディターに用意されていたBGMを取り入れたところ【8月17日の日記参照】、「以下の Content ID の申し立てにより、この動画は一部の地域でブロックされています。...動画の視聴や収益化はできません。」という表示が出ていることに気づいた。ビデオエディターのBGM素材は著作権フリーかと思っていたがそうではなさそう。そのうち別のBGMに取り替える予定。

2020年8月27日(木)



【小さな話題】時間とお金の関係

 昨日の日記で、ミヒャエル・エンデの「モモ」の話題を取り上げた。昨日も引用したが、この『モモ』はゲゼルの思想から着想を得たと言われている。

 このWeb日記で何度も取り上げてきたが【たとえばこちら】、私自身は「お金」と「時間」の関係を以下のように考えている。
  • お金とは、他者のために働くことの対価である。(自分のために他者を働かせるツールである。)
  • 「他者のために働く」とは、自分の生きている時間を他者のために提供するということ。
 要するに、働いて報酬を受け取るというのは「強化子(好子)出現の随伴性」ではなく、「働かないと生きていけない」という「強化子(好子)消失阻止の随伴性」で強化されているのである。

 では、なぜ一部の人たちはなぜ働かなくてもゴージャスな生活ができるのか。それは、資本主義社会では、衣食住に必要な生産手段(製造機械や農地、漁具など)や、縫製機械、マンションや戸建てなどが私有されているためである。このことによって、例えばマンションで生活するためには、賃料を得るための労働が必要となる。マンション所有者は、賃貸で得た収入をもとに、自分のために他者を働かせる(やわらかに言えば「働いていただく」)ことが可能となる。

 資本主義社会がさらに高度になると、衣食住とは直接関係の無い金融市場において、さらに大きな利殖の手段が生まれてくる。そこで収益を得た人は、さらにたくさんの他者をじぶんのために働かせる(「働いていただく」)ことができるようになる。貧富の差はさらに拡大していくだろう。またそれにより、低所得者はますます自分の時間を「他者への奉仕」のために奪われることになる。

 ここで留意してほしいのだが、本来「他者への奉仕」は悪いことではない。人間は共同生活をする動物であり、たった独りで自給自足生活をしているように見える人でもどこかで社会と繋がっている。そこで、金利をマイナスにしたり、長期間保有すればするほど価値が減衰していくようなしくみを導入すれば、働かないでお金を殖やすことができなくなり、共同体の中での互助互酬を活発化させることができる。これが「ボランティア通貨」、「地域通貨」の発想の原点であったと理解している。

 しかし、加藤敏春氏が提唱したエコマネーを初めとした地域通貨の運動は、当時「燎原の火」と言われていたほどには発展しなかった。そのいっぽうで、投機対象にもなりうるような仮想通貨が各種登場している。

 この原因の1つは、ボランティア通貨と法定通貨の交換を認めるかどうかという議論にあったように思う。もちろん、法定通貨との交換を可能にしても、環境保護活動と連動させることはできるが、適用範囲は限られてしまい、共同体全体の互助活動を活性化することは難しいように思う(加藤氏御自身は、法定通貨との交換を否定しない立場であったと理解している)。

 もう1つの原因は、地域通貨を純粋なボランティア通貨として運用した場合、「他者に働いてもらう必要のある人」と「他者に働いてもらわなくても自立的に生活できる人」というニーズの格差が生まれてしまう点。後者のタイプの人の中でも、他者のために役に立つこと自体が強化的な人はボランティア活動を継続していくだろうが、そのいっぽう昼寝ばかりしているネコのように「働かなくても生活できるなら何もしない」というタイプも少なからず出てくる。であるからして、私にはベーシックインカムなど到底実現できないように思われる【債権国などが、その国の中だけで実現することはできるが、じつは貧困国の人々を働かせているだけ】。

 なお、上記の地域通貨の発想はマルクス主義の考え方とは根本的に異なる。ネット上でもさまざまな論調が散見されるが、
  • マルクスが目ざしたものは「国家資本主義」であって、資本主義の一つの形態に過ぎない
  • マルクスはお金の「価値」を前提として理論を構築しており、「価値」の本質を問い直そうとしなかった。
といった指摘が妥当ではないかと思っている。