じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 半田山植物園が休園日となった火曜日、代替のウォーキングコースとして、岡山県総合グラウンドを歩いた【楽天版参照】。
 帰りがけ、南西の空に沈む太陽が旧・京山タワーと重なる「京山皆既日食現象」の始まりを偶然に目撃したが、残念ながらその後、太陽は雲に隠れてしまい、「部分日食現象」で終わってしまった。
 「京山皆既日食現象」あるいは「京山金環日食現象」は、日没の方位と旧・京山タワーを結ぶ東方向の線上で、ほぼ一年中、岡山市内のどこかで見られるが、岡山県総合グラウンドで見られるのは、11月上旬と1月下旬に限られる。日没の方位と旧・京山タワーを結ぶ東方向の線は、このあと、岡大構内の南東端のエリアまで北上する。

2020年11月10日(火)



【小さな話題】3ヶ所のどこかに傘を置き忘れる確率

 少し前、ネット上で、条件つき確率についての面白い問題を見つけた【出典はこちら】。
A君は施設に傘を持って入るたびに、1/3の確率で傘を忘れます。

ある朝、A君は傘を持って家を出て、病院→学校→図書館と3つの施設を回って家に着いたところ、傘を持ってないことに気づきました。どの施設で傘を忘れた可能性が高いでしょう?

 素朴に考えると、どの施設でも1/3の確率なのだから、3つとも同じではないかと思ってしまうが、ここで「ある施設で傘を置き忘れる確率が1/3」というのは、「その施設に傘を持っていった」ということを前提にしている。しかし、上掲の問題で「図書館に傘を置き忘れる」という確率は1/3よりは少ない(1/3というのはあくまで図書館に傘を持っていった時に忘れる確率)。「病院では置き忘れず、かつ、学校でも置き忘れず、図書館まで持参した傘を置き忘れる」という確率になるので、この事象全体の文脈では、1/3よりは小さくなるのである。リンク先に示されている通り、病院、学校、図書館それぞれで置き忘れる確率は、9/19、6/19、4/19となって、「傘をどこかに置き忘れた」という前提のもとでは、一番最初の病院で置き忘れた確率が半分近くになるところが面白い。

 この問題のバリエーションとして、
A君は施設に傘を持って入るたびに、傘を忘れます。病院、学校、図書館に置き忘れる確率はそれぞれ、20%、30%、40%となっています。

ある朝、A君は傘を持って家を出て、病院→学校→図書館と3つの施設を回って家に着いたところ、傘を持ってないことに気づきました。どの施設で傘を忘れた可能性が高いでしょう?

 これと同じ問題はこちらで紹介されていた【但し、施設の名称は「コンビニ、図書館、居酒屋」に、また、「カサを探すため,まず先に,どこに行くのがよいだろうか?」という設定になっていた。】
 この問題で興味深いのは、1ヶ所の施設だけで比較した時には図書館に置き忘れる確率が最も高いにもかかわらず、上掲のように、病院→学校→図書館と3つの施設を回った場合には、2番目の学校のほうが高くなってしまうことである。リンク先に示されているように、病院、学校、図書館それぞれの確率は、200/664、240/664、224/664となっている。

 以上の問題は、傘を1本しか持参しておらず、ある施設で置き忘れた場合、その次に訪れた施設ではもはや傘を置き忘れることが無いという前提に立っている。あまり有り難くない例であるが、
新型コロナが蔓延し、病院、学校、図書館で感染する確率がそれぞれ、20%、30%、40%となってしまった。

A君は、病院→学校→図書館と3つの施設を回ったあと、新型コロナに感染していることが確認された。どの施設で感染した可能性が高いでしょう?
というように問題内容を変えたとする。傘の置き忘れ問題と異なるのは、「病院で感染した」からといって「もはや学校では感染しない」とは言い切れないことである。もちろん、免疫により同じウイルスには感染しないということはあるが、短時間に3施設を回っているような場合は、逆に、3施設全体で大量のウイルスに接したことが感染に繋がった可能性もある。

 確率の大きさというのは、自然現象そのものの起こりやすさだけを示すものではない(というか自然現象の起こりやすさの場合でも、分母をどう設定するのかは、議論の文脈によって異なる。例えば、「私が死ぬ確率」の大きさは、「何年以内に」という分母に依存するし、リスク要因をどこまで考慮するのかによっても変わってくる。)
 確率はむしろ、ある文脈において、当事者がその時点で獲得している情報に基づいて何かを予想する際の「当たりやすさ」を表しているように思える。
 例えば、2人で当たりは1本だけのあみだクジを引いたとする。この時点ではそれぞれが当たる確率は1/2となっている。しかし最初の1人が外れとなれば、それを知った人は、「2番目にクジを引く人が当たる確率は100%である」と予想できる。
 別の事例として、ある辺境地域で、バス、飛行機、船に乗った時に事故で死ぬ確率がそれぞれ1%であったとする。「ある人が、バス→飛行機→船の順に乗車(搭乗、乗船)した結果として事故で亡くなった」場合の確率はバスの事故に遭った確率が最も大きいだろうが、じっさいに船に乗っている最中に事故に遭って死ぬ確率はあくまで1%であって、それ以前にバスや飛行機に乗ったこととは独立した事象になる。

 確率の興味深い議論としてはモンティーホール問題がある。私自身も2011年2月27日の日記で考察したことがあった。