Copyright(C)長谷川芳典 |
【小さな話題】今年もあと1カ月「回想と重ね合わせて、いま、ここを生きる」 2020年もあと1カ月を残すだけとなった。今年は新型コロナの影響で、海外はもちろん、国内の移動もままならず、自宅から3km圏内で殆どの日々を過ごしている。直近のNHKオンラインによれば、11月30日22時23分の時点では、これまでに全国で1439人の感染、26人の死亡の発表があったという。このままでは、恒例の年末年始の帰省も取りやめにせざるを得ない状況である。 もっとも、私個人としては、移動自粛を窮屈に感じることは殆どない。もともと人混みは嫌いだし、外食グルメにも全く興味がない。新型コロナが蔓延していても収束しても、私個人の日課が変わることは全く無いような気もする。 毎日2時間程度に時間を区切って、蔵書、写真、ビデオの整理をしているが、すでに家族の成長を記録した写真やビデオはすべてデジタル化(jpeg、あるいはmpeg4)を完了。現在は、私自身が愛読していた童話全集などを整理、処分している【11月26日の日記参照】。 昔の資料を整理しているせいか、最近見る夢の殆どは、20〜30年前へのタイムスリップものとなっている。こういう回想は、日々の楽しみでもある。 よく「いま、ここを生きる」のが大切だと言われるが、最近、この姿勢は私には当てはまらないのではないか、むしろ、「今を、回想と重ね合わせて生きる」ことのほうが、隠居生活に厚みが出てくるように思ったりする。 「いま、ここを生きる」というのは、まだ将来性のある若者が、過去の何らかのネガティブな出来事に囚われていて、前向きの人生を送れない人にとっては有意義な生き方であると思う。高齢者においても、過去に辛い出来事があった場合には、わざわざそれを回想する必要はないとは思う。しかし、人生でそれなりに楽しい経験を重ねてきた人の場合、――もちろんどんな人でも、苦しい経験、悲しい経験を併せ持つことは当然であるが――、ポジティブな部分への回想の機会を増やすことにはそれなりの意味があるようにも思う。私の場合、最近は特に物忘れがひどくなり、放っておいても「いま、ここにしか生きられない(=少し前に起こったことを忘れてしまう)という傾向が強まっている。「現在」という「点」を生きるよりは、過去を回想しながら「現在と過去」をつなぐ「線」として生きる方が厚みが出てくるのではないか。 上記の考えは、「過去に向かって自分の寿命を延ばす」ことにも繋がる。私の余命など、どんなに頑張ってもこの先30年(=98歳)、現実的には、あと20年前後(=88歳)、何かの病気や事故があればもっと早く尽きてしまうだけであり、そういうことをいちいち気にしていてもどうなるものではない。しかし、「今を、回想と重ね合わせて生きる」のであれば、過去の何十年にも及ぶ経験がよみがえることで、時空間を過去の方向に「延命」することができるのである。回想を具体化すればするほど、命を延ばすことができるというわけだ。 今述べたことは、過去の思い出に浸るだけの人生とは異なる。あくまで「今を、回想と重ね合わせて生きる」のであって、「今を生きる」が前提となっていることに留意されたい。言葉の順序を入れ替えれば「回想と重ね合わせて、いま、ここを生きる」ということだ。なお、これは高齢者むけのライフスタイルであって、現役世代には絶対にオススメできない。 |