じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 岡大東門近く(教育学部東)にある梅の花。岡大構内の梅というと、農学部農場が有名だが、農場以外では、この場所の梅の木が最も花つきが良いようだ。逆光のため、フラッシュ使用。

2021年2月12日(金)




【連載】NHK特集「シルクロード第2部」(3)第十三集〜第十八集

 昨日に続いて、NHK-BSPで再放送されていた表記の特集の感想。今回は第十三集から第十八集までを取り上げる。なお、このシリーズの再放送は、2月10日で完結した。
  • 13 灼熱 黒砂漠 さいはての仏を求めて(1984年4月2日)
    →ヒワ、ダルワザ
     2013年8月のトルクメニスタン旅行の帰路に、ヒワ(ヒヴァ)を観光した。2013年には完全に観光地化しており、土産物店や食堂などがあった。
     カラクム砂漠のダルワザは地獄の門の近くにあった村のことだと思われる。砂漠のど真ん中の村としてはダムラ村のほうが印象に残っている。
  • 14 絹と十字架 コーカサスを越えて(1984年5月7日)
    →グルジア(現:ジョージア)のステパンツミンダ、アルメニアから見たアララト山
     2019年6月のコーカサス山麓の花旅の際に、当時のグルジア(現:ジョージア)と、アルメニアを訪れたことがあり、旧グルジア軍用道路の一部も通行した。
     番組の中では、グルジアの十字架峠のほか、ゲルゲティ三位一体教会(ツミンダ・サメバ教会)を背景に、取材車がグルジア軍用道路を南下しているようなシーンがあったが、あの教会は軍用道路沿いではなく山の上にあり、わざわざ登らなければ通らないはずの場所であった。ま、雰囲気を出すための演出であるとしておこう。
  • 15 キャラバンは西へ 〜再現・古代隊商の旅〜(1984年6月4日)
    →シリア、パルミラ
     番組取材当時は平和であったシリアはその後、内戦状態となり、観光客が訪れる国ではなくなってしまった。この回のメインとなったパルミラ遺跡は、無残な世界遺産の姿…粉々の神殿、彫刻の顔は破壊されたという。番組の中でパルミラ遺跡までのラクダのキャラバンを実現してくれたベドウィン族のラマダンさん一家や、シリア砂漠の中100kmごとに掘られている井戸の1つ「ホジェイルの泉」の管理人一家は、今はどうしておられるだろうか。
  • 16 騎馬の道はるか(1984年7月2日)
    →イラン・トルコ国境、エルズルム
     イランとトルコの国境は通過したことはないが、2010年、国境近く(トルコ側)にある隕石孔を見学した時に、山の上の国境検問所が見えていた。番組取材当時はイランからの石油を満載したタンクローリーが行列を作っていたが、私たちが訪れた時はパイプラインが敷設されていてタンクローリーは通行していなかったと記憶している。
     エルズルムはこんな感じ不思議なレストランが一番印象に残っている。
  • 17 アジアの果て 絹の町(1984年8月20日)
    →トルコ・カッパドキアほか
     東トルコを旅行したことはあるが、カッパドキア方面は訪れたことがない。
  • 18 すべての道はローマに通ず(1984年9月3日)
    →イスタンブル・ガラタ橋、グランドバザール
     東トルコ旅行の帰路、イスタンブルに1泊し、市内を観光した。ガラタ橋やグランドバザールは訪れたが、ブルーモスクは行く機会がなかった。トルコには、エフェス(エフェソス)という古代ローマ帝国の遺跡もあるが、この番組では取り上げられなかった。


 ということで、この第13集から第18集で紹介されていた地域の中うち、一度も訪れていないのは、第15集のシリアのみであることが確認できた。

 新型コロナの影響で今や鎖国状態となり、この先、コロナが収束して「開国」が再開されたとしても、すでに高齢者の仲間入りしている私自身が再び旅行に出かけられるかどうかはきわめて微妙となっている。もっとも、まことに幸いなことに、私自身は、中国からローマに至るシルクロードをほぼ行き尽くすことができた。良い時代に生まれたことを感謝せねばなるまい。

 なお、これを機会に、楽天版のほうで1981年冬の中国シルクロードのアルバムの連載を始めた。経済発展の著しい中国においては、40年前の風景はもはや地球上のどこにも存在していない。これまた、良い時代に訪れることができてまことにラッキーであった。