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4月11日放送のNHK「目撃!にっぽん:苦手なことは、可能性だ〜“教えない授業” 半年間の記録〜」で紹介された「風呂敷理論」。風呂敷をつまんで持ち上げると、そこを頂点として全体も上がっていく、どこをつまんでも全体が上がる、という喩えのようだ。↓の記事参照。 |
【小さな話題】「風呂敷理論」 4月11日、NHK総合「目撃!にっぽん」で、 ●「苦手なことは、可能性だ〜“教えない授業” 半年間の記録〜」 という話題を取り上げていた【4月15日にBS1で再放送】。概要はTVでた藏でも知ることができる。 取材対象となった中学では、生徒たちは、毎週水曜日、通常授業の代わりに、自分の好きなことに取り組むことができる。その成果は2月の学習発表会で発表された。 この学校で行われているユニークな教育活動については特に異論はないが、オープニングのところで紹介されていた「風呂敷理論」とはどういうものか?興味が湧いてきたので少し調べてみた。 まず番組の中では、「風呂敷理論」は、上掲の写真のように風呂敷をつまみ上げる映像とともに、 例えばゲームが好きだとしますよね。そうしたらゲームがどんどん好きになっていくんですけど、他の好きなこともこうやって、他の力も伸びていくみたいなイメージなんですね。一見関係ないような力も伸びていく、だから好きは我慢せずにどんどんやらせていく。というように説明された。続く、満島ひかりさんのナレーションでは、 いろんなことに悩みながら成長していく子どもたち。その可能性を信じ、社会で生きていく力を育てたい。奮闘の日々を見つめました。 次に、ネットで「風呂敷理論(ふろしき理論)」を検索してみると
行動分析学、特に、巨視的な視点を重視する立場からとらえるならば、「風呂敷理論」は、 ●ある行動を強化すると、それに関連したひとまとまりの諸行動も結果的に強化される と考えることができるだろう。これは、形態的に類似した行動の般化に限るものではない。機能的に連関した諸行動が結果として活性化されるという意味である。 勉強について言えば、苦手な科目と得意な科目があると、苦手な科目の克服ばかりに時間を費やすように指導されるが、これでは勉強嫌いになってしまう。むしろ、得意科目を好きなだけ勉強させるほうが、自発的な学習行動が強化されるようになる。 このほか、得意科目を徹底的に学ぶということで、新たな動機づけ要因が苦手科目の中にも見出されるかもしれない。 もっとも、現行の教育制度のもとでは、「風呂敷理論」の適用には限界がある。小中学校はもとより、義務教育ではない高校においても一定の科目を修めなければ大学に進学できないし、いずれにせよ、受験科目という形で苦手科目の克服が求められる。最近では、学習障がいなどについての理解が進んでいると思われるが、もっともっと、好きな科目だけ学べるような制度があってもよいのではないかと思う。 元の話に戻るが、この番組のタイトルは「苦手なことは、可能性だ」となっていたが、番組をちゃんと視ていないせいか、なぜ、苦手なことが可能性なのかはイマイチよく分からなかった。私自身は「苦手の克服よりも、得意を伸ばすことが可能性につながる」でよいと思っている。もちろん社会生活上、最低限のことについては苦手を克服する必要があるだろうが、いまの学校教育は、わざわざ苦手をつくり出しているようにも思う。ちなみに、私自身が中高時代に苦手、もしくは嫌いだった科目は、
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