じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



05月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る


 岡山県では新型コロナの緊急事態宣言が発出されているが、岡大生協食堂や大学周辺の飲食店でもそれに対応した措置がとられるようになった。画像の左側は岡大生協の時短営業対応。画像右上は居酒屋、右下は個人営業の中華料理店だが、いずれも5月31日まで休業となっている。
 飲食店の休業は学生のアルバイト収入にも打撃を与えているものと思われる。

2021年5月19日(水)



【連載】武田鉄矢の昭和は輝いていた『胸ときめいた雑誌“科学”と“学習”』その1

 4月30日に放送された表記の番組についての感想と考察。

 ウィキペディアによれば、この番組は2013年に『昭和は輝いていた』というタイトルで放送が開始され、2014年10月1日からは『武田鉄矢の昭和は輝いていた』に改題された。昭和27年(1952年)生まれの私としては懐かしい話題が多く、時たま、録画・再生で視聴しているが、これまで、このWeb日記で感想を述べたことがあったかどうかは確認できていない。チコちゃんに叱られる!と異なり、この番組の放送リストはウィキペディアにしっかり掲載されているが、なぜか2020年4月10日より後の放送分については追加されていない。しかしBSテレ東の公式サイトのほうがしっかりしていて、ラインナップのところから2014年10月1日以降のタイトルを閲覧することができるので、不便に感じることはない。今回の放送内容についてはこちらに要約が掲載されていた。

 さて本題に入るが、学習研究社は、1946年、「戦後の復興は、教育をおいてほかにない」という信念に基づき、故・古岡秀人によって創立された。ウィキペディアによると、「学習研究社」が、略称ではなく正式に「学研」に変更されたのは、2009年の持株会社化の時からであったようだ。なお、今回番組で取り上げられた『科学』のふろくについては、こちらこちらのサイトで閲覧できるようだが、一部うまくアクセスできないページがあった。

 蕎麦屋「やぶー」の2階を間借りして創業した学習研究社は、創業3カ月で早くも初等五年と初等六年の『學習』を創刊。既成の流通ルートでは相手にしてもらえなかったところ、星一の自伝を偶然手にし、それを参考にして、学校への直販ルートを開発した。当時は、国鉄の「雑誌特別運賃規定(特運)」を利用することで教育雑誌の配達コストを下げることができ、また、GHQの教職追放で職を失っていた元校長や元教頭が学校への直売に尽力したという。

 私が小学校に入学したのは1959年4月であり、世の中はだいぶ変わっていたが、確かに、学研の『学習」や『科学』、あるいは肝油ドロップなどは、担任の先生の取り次ぎで学校内で販売されていたと記憶している。
 番組でも言及されていたが、公立学校で取次や敷地内での販売をすると、それを喜ぶ子どもがいる一方、貧困などの理由で、それらを受け取れない子どもがでてきて、不公平感をもたらす。そのことから、「学研のおばちゃん」による販売方式に切り替えられたというが、私の時代も、私の子どもたちの時代も、「学研のおばちゃん」のお世話になることはなかった。

 ちなみに、『学習』と『科学』は2009年に休刊となり、学研は経営危機に陥った。最盛期に月販670万部を売り上げを誇った『学習』と『科学』がなぜ休刊に追い込まれたのかについては、今回の番組の中では何も言及されていなかった。

 なお、これらの休刊から、10年経って、学研の売上高は1400億円にV字回復した【直近の5月14日発表の中間決算では経常利益4,826百万円、対会社予想進捗率84.7%】。このあたりの話題はカンブリア宮殿(2020年3月19日放送)で取り上げられていたようだが視聴できていない【但し、宮原社長のエピソードはどこかの別番組で拝見したことがある】。

 次回に続く。