じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 9月15日の夕刻、雲の合間から久しぶりに国際宇宙ステーションを眺めることができた。こちらの情報では、この日の通過は「19 時 20 分ごろ西南西の低い空で見え始め, 19 時 23 分ごろ 北西の中ぐらいの高さの空( 45.2 °)でいちばん高くなり, 19 時 26 分ごろ北東の低空へ動き見えなくなる。」となっていた。
 この日は月齢8.4の月のすぐ近くを通る予想となっていて、ひょっとして月とISSが重なる様子が見られるかと期待したが、月のあたりは雲が多く確認することはできなかった。航跡からみて若干、月の北側を通過した模様。ISSの明るさはほぼ木星並み。

2021年9月16日(木)



【小さな話題】Q〜未来のための対話 教えて!養老先生×落合先生(4)ロボットとの付き合い方

 昨日に続いて、NHK Eテレで8月23日19時25分〜19時55分に放送された、

●「Q〜子どものための哲学」に寄せられた「未来」についての疑問を先生たちにぶつける番組

についての感想と考察。

 番組の終わりのあたりでは、昨日取り上げた、

●自分と違う人とうまく付き合っていくためにはどうしたらいいの?

からの派生として、

●人間同士のうまい付き合い方は分かったんだけれど、感情の無いロボットとはどうやって付き合っていったらいいんですか?

という疑問が出された。
 この疑問に対して養老先生は、
ロボットがあるからってロボット任せにしない。たぶん、いちばんいいのは、ロボットの電源を落とす。
と発言された。いっぽう落合先生は、
スイッチは切れない。スイッチを切ると同時にお金も払えないし、地震が来ても気付かないし、呼吸もできないかもしれない。とするとスイッチを入れておかざるを得ない。
と反論されたが、養老先生は
スイッチを入れておかざるを得ないような機会を作っちゃいけない。病院の生命維持装置は電源を切られたらアウトだが、それが日常生活の中にも入っている。
とコメントされた。このあたりは、お二方でかなり見解が違うように見えたが、子ども向け番組ということで、これ以上の論争には発展しなかった。
 ちなみに、私自身は、こちらの連載にあるように、養老先生のお考えについてはある程度存じ上げているが、落合先生については何度かテレビ番組で拝見しただけで、そもそもよく分からないところがある。ウィキペディアには終末期医療に関する発言という項目があるが、その論争の経緯は全く分からない。

 上記の疑問はさらに、

●デジタルについていけないとダメなの?

という議論に発展したが、

●(デジタルについて)わからない人の方が個性的で価値がある。
●【落合先生】ちょっと変わっていないと生きていきにくい。みんなができることが自分でできる必要はほぼない。

というような方向で収束した。




 ここからは私の考えになるが、ロボットというか、AIや電気で動く様々な機械については、人間の能動的な行動(=オペラント行動)を支援してくれる機能を持つものであれば、大いに必要であり、ぜひとも開発してほしいとは思う。例えば手足が不自由になっても、センサーでほんの僅かな筋肉の動きや視線などを察知して適切な支援(パソコンの文字入力、アプリの切り替え、電動車椅子の移動など)をしてくれる機械とか、視力が完全に失われても、周囲の景色を触覚刺激に変換して脳に伝える機械などは、「行動し、結果として強化される」というスキナーの生きがい論にマッチするものであると思う。
 いっぽう、最近のニュースでは、孫正義氏が、日本復活のカギはAI搭載ロボ「スマボ」にあると主張されているとか。製造部門はそれでもよいと思うが、介護、サービス、さらには兵器としてロボットを活用する方向については十分な議論が必要かと思う。

 デジタル社会についていけないという問題は、私自身にも当てはまる。私はこれまで一貫してスマホを必要としない生活を続けてきたが、スマホでいろいろな認証を行う時代となると、いずれは最低限の機能を持ったスマホを利用せざるをえない可能性がある。但し、何でもかんでもスマホに頼ってしまうようになると、大規模な磁気嵐や、テロ、その他想定外の事故によりスマホが使えなくなった時に何もできなくなってしまう。スマホが無いと地震に気付けないとか、地下鉄の乗り換えができないとか、町中での方角が分からないというような人間にはなりたくないものだ。もっと、日頃から自分の感性を磨いておく必要がある。