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時計台前の紅白の彼岸花(9月22日撮影)。お彼岸の中日に合わせて咲き揃った。2012年10月2日の楽天版にも記したように、ここの彼岸花は、白(白花曼珠沙華)のほうが先に開花する。草刈り作業では花も葉もすべて刈り取られてしまうので、そのタイミングによって翌年度の勢いが変わる。 |
【連載】『プロジェクトX4Kリストア版』「日本語ワープロ」その1 9月7日にNHK-BSPで放送された、 【2002年9月3日初回放送】#95「運命の最終テスト 〜ワープロ・日本語に挑んだ若者たち〜 の感想と考察。ちなみにこの4Kリストア版シリーズはこの先もまだまだ放送されると思い、わざわざ連載リストを作ったところであったが、このワープロの話題のあと、翌週の9月14日放送の、 【2000年10月17日初回放送】#25「幻の金堂 ゼロからの挑戦 〜薬師寺・鬼の名工と若武者たち〜」 をもって最終回となってしまった。 この『プロジェクトX4Kリストア版』は単に過去を懐かしむためのものではない。いまの日本の長期停滞・衰退を何とかして打破するためのヒントが含まれていた。もっと放送を継続して欲しかった。 さて、元のワープロの話題に戻るが、ワープロは、デジカメ、インターネットとともに、私の人生を変えた三大発明といってもよいくらい、重要な存在になっている。ワープロが無かった時代、私の世代で言えば、卒論や修論の時代は、すべての論文は手書き、英文は電動タイプライターとなっていて、1字でも間違えれば修正インクを塗って訂正、また段落の入れ替えや大幅な修正に迫られた場合は、すべて書き直しという手間を余儀なくされた。それがワープロの登場で激変。執筆の効率は何十倍、何百倍にも高まった。幸いなことに、私が大学院、研修員の頃には、ワープロソフトや専用機が登場し、それ以降現在に至るまで、手書きの原稿で煩わされることは全く無くなった【その代わり、漢字は殆ど書けなくなった】。 元の話題から脇道に逸れるが、私自身のワープロとの関わりと、国内の開発状況は以下の通りであった。ワープロの創生期は、ちょうど私自身の大学・大学院・研修員時代と重なっており、その発展の恩恵に浴すことができた。
さて、番組に戻るが、番組の冒頭では、戦後、日本語が経済の足かせになっていたという話題が取り上げられていた。英文の契約書はわずか26文字のタイプライターで誰でも作成できたのに対して、「48の平仮名と5万の漢字が織りなす宇宙」と表される日本語では、活字を打てるのは数少ない和文タイピストに限られていた。番組の途中でも紹介されていたが、戦後の一時期には、ローマ字だけで書かれた教科書が試験的に使われたり、伊藤忠商事では社内の公文書をカナタイプで入力したカタカナだけでやりとりしていたという。しかし、日本語は同音異義語が多く、役に立ちそうも無かった。 日本語ワープロの開発には複数の企業、研究所等が取り組んでいたが、番組ではそのうち、1978年に日本初のワープロ専用機を開発した東芝のプロジェクトの取り組み、その中でも、漢字変換の効率化をめざす取り組みが紹介されていた。中心メンバーであった森健一は「自動手書き郵便番号読み取り装置」の開発でも知られている。 次回に続く。 |