Copyright(C)長谷川芳典 |
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2月16日朝の岡山は快晴となり、6時55分頃、西に沈む満月(01時57分)と、備前富士山麓から昇る太陽を同時に眺めることができた。【国立天文台によれば、天文学上の日の出時刻は6時48分、月の入りは07時19分となっている。】 |
【連載】コズミックフロント「宇宙をひらく 究極の“時間”に迫れ!」(5)エントロピー増大則、時空 昨日に続いて、1月6日に初回放送された表記の放送の感想・考察。本日で最終回。 昨日の日記の終わりのところで、 ●時間の矢の原因は運動法則ではなくて、「バラバラに散らばっていくものは取り返しがつかない」にある。 という話題を取り上げた。これはおそらく「エントロピー増大則を意味しているように思われたが、放送ではビリヤードの球の位置を例にして、逆方向の動きでは元の1つの場所には戻せないということが説明された。
●逆の運動(逆の時間の矢)は、運動法則で禁止されているわけではないが、それが確率論的に余りにも起こりえないため見えない。だから、固まっている状態からバラバラになっていく状態に向けて時間が流れていくように感じる。これが時間の正体。 と説明された。 しかし、2月6日にも述べたように、日常世界では、何かが結晶したり、生命体が細胞分裂しながら成長発達していくというように、バラバラから整合された状態に変化する現象も多数経験できる。なので、時間経過は、「固まっている状態→バラバラ」という体験ばかりでなく、「バラバラ→固まる」、「バラバラ→整合」という体験によっても同程度に感じられるのではないかという気がした。 番組のほぼ終わりのところでは、アインシュタインの光速度不変の原理について解説されていた。この原理を仮定すると、 ●「時間」と「空間」は「時空」として存在しており、分けて考えることはできない。 ということになる。松浦先生は、以下のような事例でこれを説明された。
番組の終わりのところでは、古代中国の書物に、 ●往古来今謂之宙 四方上下謂之宇 という記述があり、古来よりこの宇宙が時間と空間の混ざり合ったものであることに気づいていたのかもしれないと締めくくられた。 ここからは私の感想・考察になるが、まず、上記のロケット電車の喩え話については、少々現実離れしているのではないかという印象を受けた。なぜなら、そもそも光速に近いスピードで動いているロケット電車では、電車が目の前を通過した直後ははるか彼方まで離れていってしまうため、車内の光の動きを観察することはできない。かりに望遠鏡で観察したとしても、移動後の電車から観測者までの間を光が移動する時間を考慮しなければなるまい。 また、時空が見る人によって変わるという話だが、時空が知覚現象であるなら十分に納得できるものの、絶対的な時空が無いとすると、それでもなお時空という物差しを持つことにどういうメリットがあるのか再考する必要があるように思う。それと、上記の例で、Bさんが、Aさん以外に、別のロケット電車に乗っているCさんやDさんを観察しているとすると、Bさんの周りには観察対象の数だけ固有の時空が存在していることになるのではないか、という気もするがよく分からない。 ということで、今回の放送はテーマとしては面白かったものの、内容構成上は、小惑星の発見から人間の脳、相対性理論というように全くバラバラになっていて、全体として統一がとれていない残念作品であるという印象を受けた。 次回に続く。 |