じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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岡大・津島東キャンパスの陸上競技場で重機を入れた整備作業が行われていた。昨年は新型コロナ感染防止対策として部活動が停止されていた時期がありトラックには雑草が繁茂していたが【こちらに参考写真あり】、今年こそ、平常に戻ることを期待したい。

2022年3月10日(木)



【小さな話題】グレートトラバース501座達成スペシャル

 田中陽希さんのグレートトラバース501座達成記念番組の備忘録と感想。番組は、 というように少なくとも2つに分けて放送されていたが、今回、昨年12月29日初回放送の「達成スペシャル」を含めてまとめて視聴した。

 このシリーズは百名山チャレンジの時からずっと視聴してきたが、単に100から200、200から300というように達成目標を上げるということではなく、三百名山では、スピード至上主義から「山と向き合い味わう挑戦」へと目標が変わっていったことにも大きな意義が感じられた。

 百名山早回りの記録を打ち立てるということも凄いチャレンジであったとは思うが、真っ暗な中を歩いたり霧で何も見えない中で登頂ができたとしても、それでは「数値目標を達成できた」という観念的な満足感しか得られない。また日本には信仰の対象になっている山々もあるし、山麓で日々山と向き合いながら暮らしている人たちもいるのに、そういうことを一切無視してスピードだけを目標に走り抜けるというでは、何のために登っているのかという疑問が出てくるし、山に対して失礼であるという気もする。そういう点では三百名山での山との向き合い方は意義深いものであったし、視聴者にとってもそれぞれの山の魅力や絶景がより多く伝えられることになっていた。

 ウィキペディアによれば、陽希さんの3つの旅は以下の通りであった。
  • 2014年、208日11時間かけて日本列島に点在する日本百名山を南から北へ徒歩と海峡区間はカヤックだけで全行程7,800kmを人力踏破する「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」を達成。
  • 2015年、221日と11時間かけて日本二百名山に選定されている残りの100座を北から南へ同様に8,000km踏破する「グレートトラバース2 日本二百名山ひと筆書き」を達成。
  • 2018年から2021年8月にかけて、すでに踏破した百名山・二百名山に加え、日本三百名山に選定されている全301座を一度に南から北へ踏破する「グレートトラバース3日本三百名山ひと筆書き」を1,310日間で達成。
 ちなみに「501座」というのは、「二百名山」までのところで登頂した200座と、それら200座を加えた「三百名山」登り直しによる301座を合計したものである。500座ではなく501座となっているのは「日本二百名山は日本三百名山から選定されたが、二百名山のうち荒沢岳のみが三百名山の選外から選ばれたため、日本百名山、日本二百名山、日本三百名山に選定されている山の合計は301座となる。」という理由による。
 また、上記の山々の中には、火山活動や民有地といった理由で登頂禁止になっている山、人力での移動が不可能になっているルートも含まれていた。ウィキペディアによれば、
  • 噴火警戒レベル2(火口周辺規制)やレベル3(入山規制)の噴火警報が発令されていて立入禁止の浅間山や桜島などの山頂については、至近の立ち入り可能な最高地点への到達をもって登頂扱いとした。
  • 三百名山全山人力踏破では、立入禁止の景鶴山は至近の尾瀬ヶ原のヨッピ橋の通過をもって登頂扱いとした。
  • 動力の使用については、関門海峡の人道用海底トンネルへの昇降のみはエレベーターを利用した。
  • 百名山ひと筆書き時には本来予定していたルートとその代替ルートがすべて通行不能になるアクシデントが発生し、カヤックの使用が禁じられている黒部湖を渡らざるを得なくなり、平の渡の渡し船を利用した。
といった例外事項が記されている。

 このシリーズは、田中陽希さんの単独チャレンジとして放送されているが、実際には、カメラマン2人、ディレクター、歩荷の合計4人が殆どの区間を同行していた模様である。放送の中では、三戸呂拓也さんと、平出和也さんの2人が出演され、いくつかのエピソードが紹介された。平出和也さんは「幻の山カカボラジ 全記録〜アジア最後の秘境を行く〜」などの登山関連番組でもしばしば登場しておられる世界トップクラスのクライマーである。
 このことでふと思ったが、田中陽希ご自身は、NHKにとってはあくまで取材対象であるゆえ、旅費は一切出していないように思われる(出演料は別)。いっぽう撮影スタッフのほうは当然、NHKが全額負担しているはずだが、どのくらいの金額で契約されていたのだろうか。
 また、田中陽希さんと撮影スタッフの間でどのようなサポートがあったのかも興味が持たれるところだ。陽希さんの食料やテント、装備は当然陽希さんご自身が担いで移動したと思われる。道に迷った時にはおそらく一切アドバイスはしていないであろう。とはいえ、万が一、大けがをしたとか、天候の急変で遭難しかけたといった時には、お互いに助け合ったはず。カメラマンのほうが大けがをした時には、逆に陽希さんのほうが救助を手伝ったはず。ま、実際にはそのようなトラブルには遭わずに無事にゴールすることができた。

 このほかに興味深かったのは「田中陽希の知られざるコダワリ」というエピソードであり、具体的には、
  1. 都道府県「境界標」の動画撮影
  2. 雪だるま作成。トムラウシ山にちなんで「トムくん」の名前の雪だるまを各地で制作。宿の部屋にミニ雪だるまを持ち込んでクリスマスのお祝いをしたこともあった。
  3. ほら貝。2018年7月、大峯奥駆道で山伏が吹いていたのをみて下山後に購入。重さは1kgもあったが、その後はずっと携行しゴールでも吹いていた。


 なお、陽希さんは三百名山達成後は、アドベンチャーレーサーとして再びチームに戻るとのことであった。放送を視ていると、今後はスピード重視のアドベンチャーではなく、剃髪して(←すでにしておられる)お経を唱えながら全国の山々を巡るとか、三百名山の魅力を紹介する本を出版するとかいった可能性もあったように思うのだが、ま、グレートレースに参加する方などは皆そうだと思うが、この種のチャレンジを続ける方というのは、競走と目標達成の世界からはなかなか離れられないのであろう。