【連載】『まいにち養老先生、ときどき… 2022冬』その2「当たり前」続き、身体と死
3月30日に続いて、表記の番組(NHK-BSP 2022年3月26日初回放送)のメモと感想。
まず前回取り上げた「当たり前」についての追記。前回も述べたように、人々は殆どの場合、当たり前の出来事を基にしたメタファーで納得をする。もちろん、経験科学では、しっかりしたエビデンスが求められるる。見かけ上似ているからといって、それだけで「XがYであるのは、AがBであるのと同じだ」と主張するわけにはいかない。しかしそうは言っても、やはり「当たり前」は理解の出発点になっているように思われる。
- 数学の公理は、多くの場合、日常生活における「当たり前」が出発点となっている。なので、素数や初等レベルの整数論は比較的分かりやすいのに対して、「当たり前」としては捉えにくい複素数、さらに二元数、多元数といった拡張はなかなか理解が進まない。
- 背理法による証明がなんとなくシックリこないのは、メタファーによる関係づけができないため。数学的帰納法は、そのしくみが当たり前となれば、比較的納得しやすい証明である。
養老先生の“「当たり前」を論じるためにはどういう視点に立って言うか、その「当たり前」が当たり前である世界から離れていないといけない。”というお言葉に関連して、一番難しいと思われるのが「自分とは何か」という問題である。それぞれの人にとって、「自分」は最も当たり前の存在であるゆえ、そこから離れて自分を論じることはできない。養老先生は“塀の上”という立ち位置を示しておられたが、そのような視点を取得するためには何らかの体験あるいは訓練が必要と思われる。関係フレーム理論で提唱されている「3つの自己」も、何らかの体験や訓練なしではなかなか理解しがたい。
さて、もとの放送内容の話題に戻るが、放送の中で養老先生が鶴岡八幡宮を参拝するシーンがあった。実朝を襲った公暁が隠れたという伝説の残るご神木(2010年に強風で倒れた)について、養老先生は、子どもの頃から年数勘定をしていて800年前にはもっと小さい木だったはずでそんなはずはないと思っておられたという。これはクリティカルシンキングの一例とも言えるが、樹木というものは800年前から同じ状態で存在しているわけではなく常に成長を続け、いずれは倒れたり枯死したりするということを示すエピソードにもなっていた。
続いて語られた名言を以下にメモしておく。
- 鎌倉幕府は朝廷を中心とする当時流の情報化社会じゃなかった。だから文書とかそういうももも大切ではない。鎌倉武士はだいたい学がないんで、だからいろんな逸話が残ってないんだと思う。今は“頭”を優先するので学校でも勉強ができればいいんですけど、鎌倉時代はそんなことないでしょう。だから身体の時代なんですね。政治的には乱世、将軍がもっぱら殺されていますよ。無事に死んだのは頼朝ぐらい。
- 僕が気になるのは、この鎌倉に当時10万人が住んでいたといわれるが、亡くなった人をどうしたか?死体の処分。これはもう完全に風葬だったろうと思う。だからたくさん「やぐら」があるでしょう。ああいう所に放置する。まずイヌが来て、カラスが来て、いずれ骨になってばらばらになって消えてなくなる。それを平気で見ていた時代ですから。
- 歴史でいちばん分からないのは“日常の生活”なんです。朝起きてなにをしてどうやって料理をして次になにをするか、なかなか創造がつかない。でも歴史は普通“政治史”として書かれるので偉い人の名前がずっと出てくる。それが情報化社会です。「当たり前のこと」は書かないから情報化されにくい。
- 死体についてあれこれ考えるようになった。仕事柄、それは仕方がない。それならそもそも自分はどう思っているのかと、日本人の身体観を歴史的に調べることになってしまった。調べ始めてみると、なかなかややこしい。歴史の中では、身体は前に出たり、後ろに引っ込んだりする。そんなふうに感じるようになった。身体が前に出てくるのは乱世で、背景に退くのは平和な都市の時代である。だからといって、歴史は誰かが号令をかけて一度に変わるというものではない。いわば螺旋を描くように少しずつズレながら動いていく。【『骸骨考―イタリア・ポルトガル・フランスを歩く―』新潮社】
ま、養老先生は解剖学者なので、身体や死については特別に関心を持たれていても当然であろうとは思う。私などは死体を見たのは親族や知人の葬式の際だけであり、ふだん、死について考えることは全く無い。いずれ死ぬとは思っているが、今のところ「ゼロになる」という以上には何も感じていない。
次回に続く。
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